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袖が片方ついてないけど

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作りかけラップドレス試験の合間を潜り抜け、原稿も手を着けずに先週からこそこそ縫い物をしていたりします。部屋がある程度片づいたのをいいことに、前からリバティの Hera でワンピースを作りたいと思っていたのをようやく実行に移しました。Mパターン研究所の O0608 ラップドレスです。現状9割方完成していますが右袖もついていませんし、勿論ボタン穴も空いておりません。

当初この生地は同じ MPL のハイウエストワンピースになる予定でしたが、そっちは別の色の Hera を使うことにしました。そうです、実はもう1色持ってるんです。ベージュ色と緑色の何とも言い難い微妙な色の布 (笑)。元々2色の Hera でラップドレスとハイウエストワンピースを1着ずつ作る予定を立てていて、そのベージュの方でラップドレス作るのが嫌だったんです。ヌーディな色なのでシャツタイプの服が似合いそうもなく…。

これから暑くなるのにわざわざ7部袖にしたのは、とっても好きな柄なのでなるべく広い面積使おうと思ったから。この型紙にはインナースリップのパターンも同梱されています。こちらは芥子色の厚手ベンベルグで作る予定…なんですが、表のワンピースより分厚い布買ってしまったかも…。

同人系イベントにはインパクトのあるワンピースを用意するのが最近の私の傾向です。これはちょっと暑そうだから、ハイウエストワンピース作ってそちらで有明に向かうかもしれません。…それより原稿何とかせねばorz

鴉アナログ画

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鴉アナログ画

 これを「恥曝し」と言わずして何と言うのだろう…と思いつつ、勿体ないので載せます (この辺勇者です)。今から16年前 (当時中学生…) に描いた鴉ですよ!! 何でこんなのがまだ手元にあるのだろう…って、多分それなりに力入れて描いた絵だから勿体なくて捨てられなかったんでしょうね。部屋の掃除のついでに出て来たので日の目を見せてあげようと思います。

 当時は勿論パソコンで絵を描く状況ではなかったので、葉書サイズのマーメイド紙に水彩画です。自分の記憶が確かならホルベインの透明水彩。背景の処理が車田っぽいですね (笑)。稲妻は同じくホルベインのカラーインク (耐水) でホワイトはドクターマーチンじゃないかなぁ。当時はとにかくホワイトぎらぎらの絵を描いてました。

 絵の右下に当時のペンネームがこっそり読み取れます。当時は同人活動はやってなかったけど、会員制幽白サークルで「紅蓮-M」と名乗ってました。紅蓮は私が好きな伊達総司さんから (いきなり風小次かい!)、Mは真央のMです。この後は暫く「哀村京真」でその後漢字を変えて「相村恭麻」でした。これも実は本名から作ってるんだな (笑)。

Found It 第9章 約束の行方

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「ほらほら皆邪魔! どいたどいた!」

小龍が大声で皆を追い払っている。板を張り終えたばかりの本陣の縁側に、項羽がにやにやしながら座っている。ようやく邪魔者を遠ざけ、小龍がその隣にぴったり腰を下ろした。

「じゃあ霧風宜しく!」
「了解。」

促されて私はシャッターに指を掛けた。液晶画面の中に、片方は絆創膏だらけだが、それを除けば殆ど見分けのつかない笑顔が並んでいる。

カシャッ

「はい、おしまい。」
「サーンキュ!」

放り投げたデジカメを小龍がキャッチした。

「オレにも見せて! おー、今回もイイ男に撮れましたなぁ。」
「ちょっと遅くなったけど、また一枚無事に写真が増えました。」

画面を覗き込んで二人がはしゃいでいる。遠巻きに眺めていた劉鵬が苦笑した。

「ったく、こっちの苦労も知らんで項羽のヤツときたら。」
「でも良かったですね。やっぱ双子は二人揃ってこそ双子ですよ。」

麗羅がくすりと笑った。

「まぁ今回は首の皮一枚繋がったけどよ、一体いつまで続くかねぇこの記念撮影。」

小次郎に冷やかされ、むっとした顔で小龍が振り返った。

「ずっとだよ。この先ずーっと!」
「そう言いながら来年はお前が行方不明かもしれんぞ?」
「任せとけ、二人して死んだら並んだ墓を撮っといてやるからさ。」
「お前らそれでも仲間かっ!?」

際どい冗談を笑い合えるのも様々な出来事を乗り越えた結果だ。やり取りを聞いていた項羽が口を開いた。

「まぁ、次はちゃんと誕生日に撮ろうな。でも来年はどうだか。」
「えっ?」

皆が振り返った。小龍が瞬いた。

「どういうこと?」
「そりゃあ、その日の主役はオレが一人で頂く予定だからさ。」

そう言って項羽は意味ありげな微笑を添えて突如、私へ目配せした。

「なに?」

そのまますっくと立ち上がり、彼はつかつか私に歩み寄った。

「エッ!?」

ぎくりとして、私は思わず後ずさった。顔からどっと冷や汗が噴き出した。

──まさか──
(この馬鹿、今ここでっ……!?)
「ん?」
「どうした霧風?」

皆の視線が私に集まった。私は慌てて背を向けた。と、

「こら、逃げるなよ。」
「……」

退路を断たれ私は観念して項垂れた。彼は皆へと向き直り、突如かしこまって呼びかけた。

「丁度皆さんお集まりだから、この場の全員に立ち会ってもらうぜ。」
「エ?」
「何に。」
「この項羽の、一世一代のプロポーズにさ。」

とん、と私の肩に手を乗せ、項羽は得意げにウインクした。

「ええええぇぇぇっっ!!?」

皆が一斉に仰け反った。どよめきの中、項羽は私へ向き合った。

「これだけ証人用意すれば文句ないだろ。約束は守ったからな。」
(ぐ……)

声が笑っている。やはりこの男を迂闊に突くと手痛いしっぺ返しが待っている。私はつくづく自分の浅はかさを後悔した。

「ちょ、ちょっと待て!! お前らいつの間にそんな仲になってたんだ!?」
「約束って、何の話ですか!?」
「いーから外野は黙ってな。さあ、顔を上げて。」

騒がしい周囲をやんわり制し、項羽はうつむく私にささやいた。皆がしんと静かになった。恐る恐る顔を上げると、彼の方が緊張して下を向いていた。

「……まずはその、待たせて御免。」

うつむいたまま、ぼそりと項羽が切り出した。

「別に、待ってないっ。」
「話終わらすなよ頼むから。」

彼が苦笑した。張り詰めた空気が少しほぐれて、私達はようやく直に視線を合わせた。項羽が再び口を開いた。

「あのさ、間も空いたからもう一度言わせて。オレ、お前が好きなんだ。いつからなのか思い出せないくらい、昔からずっとお前しか見えてなかった。」

頬が熱くなり、私はふっと息をこぼした。誰かがひゅう、と口笛を鳴らした。項羽の瞳が微かに揺れた。

「オレ達はいつも、口を開けば言い争ってばかりだったよな。でもお前は素直じゃないから、つれない態度も好意の裏返しなんだと……半分妄想だけど、ずっとそう思ってたよ。そのくせ時々、本気で毛嫌いされてるんじゃないかと不安にもなった。強気になったり弱気になったり、うだうだ馬鹿みたいに悩んでた。」

一言一言を噛み締めるように、項羽はゆっくり言葉を選んでいた。私はその全てを胸に刻みたくて、黙って聞き入っていた。

「でも、確信したんだ。オレを里に連れ帰ってくれたのも、記憶を取り戻すきっかけを探してくれたのも、炎の中からオレを助け出してくれたのも全部お前だった。お前がいたからオレは今ここにいる。オレ達の運命はもう決まってて、これ以上遠回りは要らないって。約束する。これから先何度お前のこと忘れても、また何度でも思い出すよ。だから……」

そっと項羽を見上げる。視線が触れ合い、彼は照れ臭そうにうつむいた。少しためらい、そしてもう一度、顔を上げた。

「……返事、聞かせてほしい。」

胸が一杯になり、私は思わず目を閉じた。風魔の曲者と称された男。その彼が無防備な素顔をさらけ出して今、私の前に立っている。

──!──

不意に、蝉の声が聞こえたような気がした。緑薫る林の中、木漏れ日を浴びて項羽が立っている。心を揺らす言葉。胸の深くへ射し込む、夏の太陽のような眼差し。私の想いはあの夏の日、既に一つに定まっていた。

(……今更、迷うことなど何もない。)

私はそっと目を開けた。胸が高鳴り、深く息を吸い込んだ。項羽が私を見つめている。皆も固唾を呑んで私の言葉を待っている。自然と表情が和らいで、私は静かに口を開いた。

「答えは────」

[完]

Found It 第8章 目覚め

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夜。私は男達が雨避けしている寺屋を訪れていた。たまたま油の在庫が少なかったことが幸いし、火災は日が暮れる前に鎮火した。しかし室内は未だ重苦しい空気に包まれていた。

「項羽の傷は深くはない。しかし眠り続けたままだ。」

竜魔が腕組みしながら言った。

「火災に接して精神を損傷した可能性がある。そもそも火に巻かれた時、あいつの身体能力からして脱出できない筈はなかった。逃げられなかったのは周囲を炎に囲まれ、錯乱状態に陥った挙句に昏倒したからだろう。」
「もっとも、早くに意識を飛ばしたお陰で煙を吸わずに済んだようだがな。」

私と共に来た総司が言い添えた。竜魔はちらりと彼女を見て、それから一同を見渡した。

「とにかく今はそういう状況だ。それ以上は何も分からん。」
「今、どうしてるんだ?」

小次郎が不安げに尋ねた。

「夢魔がずっと付き添っている。意識を呼び戻せるか試してみると言っていたが……あまり期待はしない方がいい。」

しばらく沈黙が流れた。やがて、劉鵬が腰を上げた。それをきっかけに皆もめいめい動き出した。これ以上ただ集まっていても事態が変わらないことは明白だった。しかし小龍だけはその場に座り込んだままだった。と、総司が近寄り肩を叩いた。

「心配しなさんな。お兄ちゃんは別に死んだ訳じゃないんだからさ。」

小龍はようやく顔を上げ、小声で「有難う」とつぶやいた。彼が立ち上がり出て行くのを見送り、総司は私を振り返った。

「……酷いな、折角の美人が台無しだ。髪も随分短くなったじゃないか。」
「別に、これぐらい何でもないさ。」
「ったく風魔の男共は情けない。自分達は何もしないで女の子こんなボロボロにして。」

私は肩をすくめた。総司がくすりと笑った。

「さて、私はそろそろ行くとするよ。急の案件が入ったんでね。」
「! 帰るのか?」
「坊やは気懸りだが私にはこれ以上何も出来ないから。……彼、早く元に戻るといいな。」
「……」

小さく頷くと、総司は微笑して部屋を後にした。

 道場に戻り姉妹達に状況を説明した後、私は物置の中で例の手帳と向き合っていた。記憶どころか意識の回復すら危ぶまれる項羽の状態だが、何もせずじっとしていることは到底出来なかった。しかし、

(やはり、これ以上は何も……)

再度確かめても手帳には二つの数字以外、何の書き込みも残されていなかった。小龍に許可を得て、項羽が鉄の部屋から持ち出した日めくりカレンダーも借りてきた。しかし、残ったふた月半のページには一切の手掛かりが存在しなかった。しかし諦め切れず、私は双方の十二月の日付に再度目を凝らした。と、

「霧風、こんなところにいたの。」

扉が開き、凪が姿を現した。

「ちょっと手伝ってくれない? あんたが救出した項羽のアルバム、中身ずぶ濡れになったから乾かしてやろうと思ってさ。」

彼女の手に洗濯ロープと、アルバムから出した写真の束が握られていた。私は立ち上がり、彼女と共に写真を一枚一枚洗濯ばさみに吊るし始めた。項羽と小龍の成長記録が年代順に並び、私はそれを妙にくすぐったい気分で眺めた。

「あら何、そのカレンダー。」

凪がふと、あの日めくりに目を留めた。

「ああ、項羽の部屋にあったんだ。あいつはこれをカウントダウンに使っていたらしい。」
「そうなの? へーえ、項羽が日めくりなんて可愛いというか、何か意外。」
「兜丸もさっき同じことを言ってたよ。」

笑いながら答える。ふと、先程の彼と麗羅のやり取りが頭を過ぎった。

『兜丸さんの部屋のカレンダーは可哀想ですよ。役に立つのは最初の5枚だけで、残りの360枚は日の目を見ることが出来ないんですから。』
『馬鹿言えお前、自分の誕生日くらいはちゃんとめくって悦に入るぜ!?』
──!?──

私ははっと顔を上げた。

「もしかして……!」
「え、なに? どうしたの?」

きょとんとした凪を尻目に、私は吊るした写真を勢いよく振り返った。

──十二月──

二人が毎年、誕生日に撮っていた記念写真。幼少期を過ごした家、本陣の軒先、撮影場所は毎年違うものの画面には常に雪が写っている。来年の十二月、項羽と小龍は十八になる。

「……!」

瞬間、私は全てを悟った。脳裡にありありと去年の記憶が蘇った。緑に染まる木漏れ日、騒がしい蝉の声。私を見つめていたあの眼差し……

(まさか!?)

あの時、項羽は言っていた。「早く告白らないと間に合いそうもない」と。

──あいつ、まさか本気で?──
「糸が、繋がった……。」

大きく息を吐きながら、私は思わずつぶやいた。

「よく眠ってるぜ。まあ、ただ眠っているだけならいいがな。」

夢魔がそう言って、傍らに横たわる項羽を見遣った。

「本当に何から何まで厄介なヤツだ。よほど恐ろしかったのか、昏睡の中に閉じ籠ったままで全く精神支配を受け付けない。最悪の場合このまま一生眠り続けるかもしれん。」
「その前に、正気なのか。」
「さあ、手遅れかもな。」
「……」

私は項羽の顔を見つめた。夢魔も彼に視線を向けた。

「項羽が今後覚醒するのか、もし覚醒したとしてその瞬間何が起こるのか、それはオレには分からん。一つだけ言えるのは、こいつを目覚めさせることが出来るのはこいつ自身だけということだ。」

微かな寝息が続いている。夢魔が立ち上がった。

「そろそろ点滴を準備するか。長期戦になるかもしれないからな。」
「その前に、総帥に現状を報告してこい。後は私がやる。」
「なに? ……お前が?」

夢魔は一瞬目を丸くし、にやりと笑った。

「おやおや、項羽の天敵が一体どういう風の吹き回しだか。」

私は答えなかった。

「ふ……ん。それならじゃあ、頼んだぜ。」

夢魔は軽く手を振り出て行った。戸が閉まると同時に、私は項羽の枕元に腰を下ろした。額や頬は絆創膏だらけ、布団から覗く手には包帯が巻かれている。しかし重篤な火傷ではなさそうで安堵した。髪を焦がしてしまった分、私の方が見た目はよっぽど悲惨だ。

(本当に情けないヤツ。何も知らないで……気持ちよさそうに眠って。)

総司の言葉を思い出し、次第に笑いが込み上げてきた。私はそっと身を屈め、一段声を落として彼にささやきかけた。

「こら、いつになったら起きるつもりだ? 私、お前の秘密判ったぞ。」

勿論、項羽は応えなかった。それでも話を聞いてほしくて、私は彼の手を取った。一回り大きな手の平を、私は両の手でそっと包み込んだ。

「……待っていたんだろう? 来年の十二月、十八になる日を。私を嫁にして、三十になるまでに子供を十人。あまりに馬鹿らしくて取り合うことも出来なかったが、お前は本気だったんだな。」

眠る項羽に穏やかに語りかける。胸に切なく、満ち足りた想いが涌き上がっていた。ぼんやりと曖昧だった心が、言葉にする毎にくっきり形を成していくような気がした。

「項羽……私との約束は、お前にとってそんなに軽いものだったのか。恐怖で、嫌悪で心の奥に沈んで消えてしまうような、その程度のものだったのか。私ずっと待ってたのに、お前はいつまで焦らすつもりなんだ……?」

項羽の手は温かかった。手の平から規則正しい脈動が伝わってくる。彼は生きているのだ。たとえ心が壊れても、何一つ思い出せなくても、項羽は今ここにいる。

──私達の約束は、まだ生きている──

私は重ねた手に、そっと力を込めた。
と……

「!?」

その手を握り返され、私は飛び上がった。

「……こいつは夢ですかね…… あの霧風様が、オレの枕元に付きっきりだなんて……。」

項羽の目がゆっくり開いた。

「項羽!? お前っ……」
「ああ、全部解るよ。自分が誰でどんなヤツで、どんな女を好きだったかも。」
「!!……」

私は呆然と項羽を見つめた。悪戯っぽい微笑を浮かべ、彼は徐に上体を起こした。と、こちらを見るなり顔をしかめた。

「何だぁ? お前突然不細工になったな。頭はボサボサだしその巨大な絆創膏は一体何?」
「なっ……全部お前のせいだっ!!」
「エ? じゃあまさか、あれは現実だったのかな。」
「なに?」
「お前がオレを助けてくれたこと。」
「!」

項羽がくすりと笑った。

「ありがとな。あの時突然炎に巻かれて、狂ったみたいに泣き喚いてた。どんどん火が迫ってきてパニックになって、その先は全然覚えてない。ただ気づいた時、すぐ傍でお前の声が聞こえたんだ。」

項羽は顔を上げ、じっと私の目を覗き込んだ。

「……恐る恐る目を開けたら、そこにお前が立ってた。『何してるんだ、早く来い』って、膝をついてオレの手を掴んでくれた。手が繋がった瞬間、全部思い出したんだ。視界がぱあっと拓けて、胸がぎゅっと切なくなって、『ああオレ、この女のこと好きだったな』って……そう悟った瞬間、目が覚めた。」
「!……」

何か言おうとしたが、胸が一杯で声が出なかった。項羽が優しく微笑んだ。

「ただいま。……ずっと、会いたかった。」

彼はそっと、私の頬に手を伸ばした。指の先が肌に触れた。火傷に触れぬよう気遣いながら彼は、そのまま軽く私の顔を撫でた。

──私も、会いたかった──

万感の想いを込めて見つめ合う。項羽は私の頬を手の平で包み、そのまま首筋へと指を這わせた。

「あ……」
「しっ。」

悪戯っぽく目配せし、彼は私の首を後ろから抱き寄せた。

──項羽──

逆らう理由など何もなくて、私は自然と瞼を閉じ、彼へゆっくり顔を近づけた……
その時。

ガラッ

「項羽、まだ寝てる?」
「!!」

私達は慌てて身を離した。引き戸の隙間から小龍が顔を覗かせていた。

「項羽!? 起きたの!? 大丈夫!?」
「……タイミング、最悪っ。」
「エ?」

項羽が苦笑した。小龍はぽかんと私達を見つめた。火を噴いた顔を悟られぬよう、私はひたすらそっぽを向いていた。

Found It 第7章 数が示すもの

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昼食後。私は道場の中で項羽の手帳と向き合っていた。朝は快晴だった空が突然雲に覆われ、雷まで鳴り始めたために午後の作業が中止となった。つい先程まで私達は剥き出しの木材が濡れないようブルーシートを掛ける作業に追われていた。男達は今頃テントを引き上げ、完成したばかりの寺屋の中へ避難している頃だろう。

(本当に、事務的な手帳だな。)

中身に目を通して私は溜息をついた。黒い革のカバーにリフィルが挟まっている。見開きでひと月が見渡せるタイプで、任務の予定が事細かく書き込まれている一方、期待していた私的な内容は一切記入されていない。それにしても項羽の筆跡を目にするのは数年ぶりで、紙を繰りながら不思議な懐かしさが込み上げてきた。

(こいつ、やっぱり忍文字が嫌いなんだな。)

最初のページに戻りながら私は思わず苦笑した。昔から項羽は相当の秘匿性を要する文書以外、滅多に忍文字を使わなかった。「画数が多すぎてオレの思考速度に手が追いつかないから」と、そんなことを嘯いていた記憶がある。

「──?」

ページをめくり、私はふとある日の升に目を留めた。昨年三月中旬のある日。目を凝らさないと見過ごしそうな黄色のインクで、小さく「1000」という数字が記されている。

(千? 誰かに借金でもしたのか?)

それにしては金額がせこいような気もする。私は更にページをめくり、他の月にも同様の書き込みがないか探した。すると、七月下旬のある日の欄に同じ色で書かれた「863」という数字を見つけた。

「!」

同時に、大きく心臓が波打った。私はまじまじとその日付を見つめた。

──あの日だ──

間違いない。私にとって特別な意味を持つ日。項羽と二人、“あの約束”を交わした日だった。

(どうしてこの日に書き込みが?)

急速に、不可解な数字が身近なものに思えてきた。

──もしかして、あの約束に関係が──

他の月も探してみたが新たな書き込みは見当たらなかった。そのことがかえって、数字とあの出来事の関連を強く示唆しているように思えた。

(……でも、数字の意味は一体? それに「1000」の日付は……)

七月はともかく三月の日付には思い当たる節がない。私は二つのページを行き来し、数字を見比べた。両者の日付には四ヶ月と半分ほどの間隔がある。一年の三分の一強、日数にして140日くらい……

「!」

瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。私は急いで三月のページへ戻り、「1000」の数字が記された日から注意深く日にちを数え始めた。

(1000、999、998、997──)

一日進む毎に数字を一つ下げていく。升目を飛ばさぬよう、私は区切りの数字ごとに印をつけて数え続けた。

(──865、864、863。)
「やはり……!」

予想が的中し、私は思わずつぶやいた。あの七月下旬の日は「1000」と記された日から数えて丁度、「863」に当たる日付だった。

(ならばもしかして、あの数字も?)

逸る気持ちを抑えつつ、私は更に数え進めた。

(──789、788、787!)

再び予想は的中した。「787」、項羽の隠し部屋の黒板に記されていたあの数字。それがあの部屋の日めくりカレンダーが示していた十月の日付と一致した。もう疑いの余地はない。彼は日めくりと黒板をセットにし、毎日カウントダウンしていたのだ。「1000」と記された昨年三月の日から、きっかり千日後にある何かを。

──そしてそれは多分、私にも繋がっていること──

項羽は「863」の日にわざわざ数字を残している。数字が「0」となる日にはきっと、あの約束にも絡む何かが待っているに違いない。そう確信し、私の胸の奥が疼いた。

(ひと月が約三十日、ならば千日後は33ヶ月後……二年九ヶ月後だ。すると「0」は来年の十二月か。)

頭の中で大まかな日付を弾き出し、私は十二月のページを繰った。去年の手帳に来年の欄などある筈もないが、十二月という月に何があるのかを確かめたかった。
と、

「あー怖かったぁ! 凄い雷よ!」

道場の入り口で凪の叫び声が聞こえた。私は一旦顔を上げた。

「近くまで来てるみたいだな。雨は?」
「今はまだ大丈夫。でも時間の問題ね。」

光ってから音が聞こえるまでの間隔が短くなっている。もうすぐ豪雨が降ってくるだろう。盛りの桜も明日の朝までにはすっかり花を落としているに違いない。

「どう霧風、何か分かった?」

凪が近づき、私の手元を覗き込んだ。

「ああ。項羽は来年の十二月に何か予定を控えていたようだ。」
「予定?」
「あいつは部屋の日めくりカレンダーにも反応を見せている。きっと、何か重要なことを指折り数えて待っていたのだろう。」
「え、なに? ヒント見つかったの?」

部屋の隅で洗濯物を畳んでいたつららも寄ってきた。私はそこで手帳を示し、「863」の日の出来事は伏せつつカウントダウンのことを説明した。二人が身を乗り出した。

「凄いじゃん! さっすが霧風、女ホームズね。」
「でもゼロの日に何があるかはまだ分からないよ。」
「来年の十二月……そうだね、未来過ぎてさっぱり分からない。」
「そもそもあたし達、生きてるのかも怪しいよね。」
「そういう暗い話はしない! でも、そんなに項羽が待ってたことって一体……」

凪が首をひねった瞬間、突如、一面を青い光が弾けた。

ドオオォォォン!!

「!?」

光を認識するとほぼ同時に、地面を揺るがすような音が轟いた。

「落雷か!?」

私達は思わず顔を見合わせた。と、

「火事だあぁぁ!!」

突然、誰かの声が響いた。私達は勢いよく飛び出した。里の外れで黒い煙が上がっている。

「倉庫じゃない!? まずい、あそこって油を保管してある筈だよ!」

凪が叫んだ。辿り着くと既に大勢の兄弟が集まっていた。凪の予想通り、赤々と燃える巨大な炎が倉庫を飲み込んでいた。

「早く消火を……」
「無理だ、油に引火して簡単には消えそうもない。」
「延焼を防ぐのが精一杯だ。それに少し待てば雨が降ってくる。」
「でも……!」

成す術なく立ち尽くす一同の中、突如劉鵬が大声を上げた。

「おい、誰か項羽を見なかったか!?」
「エ?」
「さっきすれ違った時アルバムを持ってて、『倉庫に返しに行く』って言ってた気が……」
「!!」

刹那、私の体が勝手に動いた。

「霧風!?」
「馬鹿! 戻れっ!!」

我に返った時、私は既に炎の中へ飛び込んでいた。煙が充満し視界を遮っている。体中を刺すような熱気が包んだ。一瞬体が竦んだものの、今更引き返すことも出来なかった。

「項羽! 項羽!! いるなら答えろ!!」

叫びながら私は炎の中を潜った。しかし声は全て煙の中に吸い込まれた。その時、黒い梁が頭上に崩れ落ちてきた。

「!」

咄嗟に飛び退いた私は次の瞬間、偶然足元にうずくまる影に気づいた。

「あっ……!」
──項羽!?──

石材に遮られ炎の届かぬ場所に、項羽が倒れていた。しかし呼び掛けても返事はなかった。

(まずい!)

脈の有無など確かめる余裕もなく、私は夢中で彼を担いだ。と、その懐にアルバムがあるのに気づいた。私はそれも拾い上げた。既に出口は煙に掻き消されている。火花の弾ける音と渦巻く気流の音に混じって兄弟達の声が聞こえてくる。それを頼りに私達は炎の中を突き進んだ。やがて視界が晴れ、立ち尽くす皆の姿が見えてきた。

「霧風!」

バシャアッ!

突然、誰かが私に水を浴びせた。

「何やってんのよ! そのまま火の中に飛び込むなんて!!」
「あんた今、背中が火だるまだったよ!?」

たらいを持った凪とつららに怒鳴られ、私は思わず身を縮めた。

「項羽!」

小龍を筆頭に皆が駆け寄ってきた。と、

「!」

ザアァァァァ────

重い雷雲が破れ、待ち焦がれた雨がようやくぼたぼた落ちてきた。燃え盛る炎は途端、その勢いを失い始めた。

「……生きてる。気絶しているだけだ。」

竜魔がつぶやいた。力が抜けたのか、小龍が大きく項垂れた。私はずぶ濡れになったアルバムを、雨から守るように懐に抱き締めた。

Found It 第6章 鉄の部屋

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「鉄板を斬ってほしいって?」
「ああ。ただその、何が出てくるか分からないんだが。」

皆が寝静まった真夜中。私は総司を従え本陣までやって来た。あらかた骨組みは完成し、壁を塗ったり屋根を葺いたりする作業が近づいている。

「項羽が以前隠し部屋を作っていたんだ。今となっては当人含め誰も開けられなくてな。あいつの性格を考えると罠が仕掛けられている可能性もあって迂闊に手が出せない。」
「その中に、彼の記憶を取り戻す手掛かりが隠れているかもしれないと。」
「ああ。」
「それにしても何故、この捜索がお前の発案だってこと隠す必要があるんだ? どうして私が自主的に開けたことにしないといけないのかな。」
「別に。どういう心境の変化だと、いちいち訊かれるのが面倒だからだ。」
「それは私も興味があるね。昨日まで現状維持を主張していた人間が一体どういう風の吹き回しやら。」

総司の問いを黙殺し、私は建物の中へ侵入した。総司がくすりと笑った。

「お前さんみたいな子を世間じゃ“ツンデレ”って呼ぶんだよ。」
「なに?」
「何でもない。……うわ、これは壮観だな!」

柱を潜り抜け問題の部屋に辿り着いた途端、総司は笑い出した。ダイヤル式の鍵を懐中電灯で照らしながら、彼女は四方から様子を観察した。

「別に罠は仕込まれていないと思うが……まあ、番号を一つ一つ試すよりはこいつでバッサリやった方が早いな。」

彼女はそう言って、背中に担いでいた物々しい剣を手に取った。

「それは?」
「護剣・緋炎剣。伊達家が代々守ってきた伝家の宝刀さ。元来こんな物ぶった切るのに使うような代物じゃないんだがね。」
「何でお前の家には聖剣だの護剣だの、お宝がごろごろ転がってるんだ?」
「野暮なこと訊きなさんな。さ、見張りが回って来ないうちに片付けるぞ。下がってろ。」

私は骨組みの外へ下がり成り行きを見守った。総司が鞘から剣を抜いた。途端、眩い炎が闇を引き裂き燃え上がった。

「!! これが……火の護剣!?」
「そ。実は私もいまいち使いこなせてなくてさ、万一建物が灰になっても笑って許して。」
「エ!? そ、そういうことは先に言えっ!」
「静かに! 気が散る!!」

総司が剣を振り上げた。紅の炎が一筋の光となり、刃に沿って輝いた。

「はあっ!!」

ジュワッ……!!

振り下ろされた刃が触れた瞬間、切断面が赤く輝いた。総司が刀を鞘に納めた時には、鉄板に一辺二尺の四角形が口を開けていた。

「な……」

私は恐る恐る近づいた。くり抜かれた穴は鑢をかけたように滑らかな切り口をしている。確かに剣も大したものだが、流石は噂に聞く凄腕だ。

「ふぅ、何とか延焼は免れたな。……待って、冷めるまで触らない方がいい。」

総司が額の汗を拭った。私は切り口に触れぬよう注意を払いつつ、懐中電灯の光を室内へ向けて差し込んだ。

「何か見えるか?」
「いや、特には。普通すぎるというか……本当に、只の部屋だ。」

いささか拍子抜けして、私は再びぐるりと室内を照らした。壁一面に防音材と思しきものが貼られている。あの男はこんな物を一体何処から、いつの間に調達してきたのだろうか。

「……そろそろ大丈夫かな。入れるよ。」

総司の言葉に、私は穴から室内へ滑り込んだ。畳二畳ほどの狭い空間。何処から引き込んだのか換気設備や照明も設置されているが、電源を断たれていて全く機能しなかった。

「凄いなこれは、核シェルターか?」

総司が笑いながら、穴の外から内部を覗き込んだ。

「しかし、年頃の坊やの秘密基地だしエッチな本でも隠してあるかと思ったけど……」
「変わったものは見当たらないな。むしろ地上の部屋よりまともかもしれない。」
「それは?」

総司が指を差した。平積みの本の上にノートが置かれている。ページをめくると几帳面な文字で、火薬の調合法やら気候の予測法やら忍術の基礎がびっしり書き込まれていた。

「うわ、勉強家だなあの坊や!」

総司が感嘆の声を上げた。私も複雑な気分でノートを見つめた。ずっと憎たらしいほどの天才と思っていたが、やはり白鳥は人目に隠れて懸命に水を掻いていたらしい。

「でも、手掛かりは何もなさそうだ。」
「残念。嬉し恥ずかし秘密日記でもつけててくれれば有難かったのに。」
「意味が分からんっ。……ん?」
「何だこれは?」

私達は同時に、壁にぶら下がったある物に気づいた。

「『787』? 何の数だ?」

日めくりカレンダーの隣、小さな黒板に白墨で殴り書きされた「787」の文字。私と総司は顔を見合わせた。

「だああぁぁっ!! 何ちゅーことをしてくれたんスか姐さんっ!!」

翌朝。本陣にやってきて開口一番、兜丸が頭を抱えて叫んだ。

「しょうがないだろ、この部屋の中を捜索したかったんだから。」
「だからってコレはないでしょーが!!」

すっかり弱り切っている兜丸の横で犯人・総司は開き直って澄まし顔だ。護剣の破壊力はやはり只物ではなかった。辛うじて灰にはならずに済んだものの、昨日まで真っ白だった無垢材の柱は例の隠し部屋を中心にすっかり黒く煤けていた。

「いーじゃん別に、どうせ古い材木と混ぜて使ってるんだし。むしろ芯まで乾燥してあげたんだから感謝してくれよ。」
「ったく!!」
「相変わらずだなお前は。」

後ろで竜魔が苦笑している。その背後から麗羅が現れ、おずおずと私の前に進み出た。

「霧風さん、あの、済みませんでした!」
「なに?」
「本当は霧風さん、項羽さんのこと誰よりも真剣に心配してたんですよね。それをオレ、今まで全然分かってなくて……御免なさい!」

麗羅が深々と頭を下げた。はっとして私は総司を振り返った。

「お前っ……喋ったな!?」
「だって、余所者の私が単独犯扱いだと居心地悪いんだもの。大丈夫、『霧風はツンデレだから分かってやって』って言ったら皆納得してくれたよ☆」
「意味不明の説明をするなっ!」

兜丸と麗羅が深く頷いている。私は溜息と共に肩を落とした。竜魔が振り返った。

「それで総司、何か見つかったか?」
「いや、それが全然。」

パンドラの箱と思われていた空間は結局ただの書斎だった。私達はあの後クッションの詰め物の中まで漁ったが、手掛かりになりそうな物は見つからなかった。総司が例のノートをひらひらさせた。

「結局収穫はこいつと、後は黒板だな。」
「黒板?」
「謎の数字787。ちなみに部屋の鍵の番号でもないようだ。」
「そのノートは?」
「単なる学習帳だよ。陰でコツコツお勉強してたみたい。」

竜魔がノートを受け取り、中身を確認した。ページごとに書き込まれた日付が変わっている。内容は兵法から英単語まで雑多かつ多岐に渡っていたが、透かしたり裏返したりしても特に変わったものは見当たらなかった。

「ほら項羽、何か思い出すことない?」

小龍が項羽を連れてやって来た。項羽は穴から内部を覗きつつ、一種異様な空間に目を白黒させていた。

「…… あれ、」

ふと彼が何かに目を留めた。皆も近寄って中を覗き込んだ。例の黒板の隣にあった日めくりカレンダーが昨年十月の日付を指している。

「ああ。お前が記憶を失くす前、この里にいた最後の日だな。」

竜魔が答えた。

「前日に派遣先から戻ってきたんだが、直ちに小次郎の加勢に向かうようにと言われてオレ達と一緒に出発した。それきりお前は最近まで行方不明だったんだ。」

後ろで兜丸が笑い出した。

「項羽が日めくりカレンダーを律儀に使ってるなんて意外だな。オレなんか思い出した時に数日まとめてバリッ!だぜ。」
「違うでしょ? 兜丸さんは数日めくって、後は翌年丸ごとゴミ箱直行じゃないですか。」

麗羅がすかさず突っ込んだ。

「あ、お前そーいうこと言う!?」
「兜丸さんの部屋のカレンダーは可哀想ですよ。役に立つのは最初の5枚だけで、残りの360枚は日の目を見ることが出来ないんですから。」
「馬鹿言えお前、自分の誕生日くらいはちゃんとめくって悦に入るぜ!?」
「うわっ、さみしー人!」
「くぉら麗羅っっ!!」

騒がしい二人をよそに、項羽がするりと室内へ滑り込んだ。

「あ、項羽!」

そのまま彼は脇目も振らずにカレンダーに近寄り、壁から外して一枚ずつ中身を確認した。が、その表情は即座に落胆の色に変わった。

「……何か、書き込みでもあればと思ったんだけどな。」
「項羽は手帳持ってたからね。それに普通、日めくりカレンダーに予定書き込むことはないと思うよ。」
「あの男は普通ではなかったがな。」

思わずつぶやいてしまい、一同の視線が私に集中した。私は慌てて話を戻した。

「で、その手帳は今何処にあるんだ?」
「夜叉一族の白虎が持ってた。上着のポケットに入ってたんだ。それはとっくに項羽にも見せてる。」

カレンダーをポケットに突っ込み、項羽が中から這い出してきた。

「何だお前、そいつに随分こだわるな。」
「気になるんだ。何故かは分からないけど。」
「ほう、」

竜魔が微笑した。

「よく分からないが、初めてだな。お前が何かに反応するのは。」
「いい兆候かもね。」

総司も頷いた。兜丸が皆を見渡した。

「さぁて、それじゃあ希望の光が見えたところで本日の作業に掛かりますか。」
「おぅ!」

皆が各々の持ち場へと散っていった。現場には私と、項羽と小龍が残った。

「お前が、ここを開けようと提案してくれたんだって?」

小龍が私に話しかけた。

「思い付きを口にしただけさ。開けたのは総司だ。」
「でも、お陰で何かを思い出せそうな気がする。有難う。」

項羽が微笑んだ。私は少し戸惑い、小さく首を振った。

「それより小龍、よかったら私にも項羽の手帳を見せてくれないか。」
「いいけど、本当に事務的なことしか書かれてないぜ。」
「一応確認したい。皆には分からないよう符牒を仕込んでいるかもしれないから。」
「そうだな。そういうのはオレよりお前の方が得意そうだから、任せる。」

小龍が頷いた。項羽が顔を上げた。

「そろそろ夢魔のところ行ってくる。十時の約束なんだ。」
「うん、また昼に。」

小龍が答え、私を振り返った。

「手帳は昼休みに持ってくるよ。じゃあ後でな。」

そういって彼は小走りで持ち場へ戻っていった。残された私は一人、再び鉄の部屋を覗き込んだ。暗い室内に「787」の文字がぼんやり白く浮かんでいた。

Found It 第5章 会いたい

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「おはよう小龍。どうだ項羽の様子は?」

翌朝。本陣建設現場を訪れた私は、隅で柱を削っている小龍に声をかけた。

「ああおはよう霧風。昨夜は特に何もなかったよ。『折角オレの為に集まってくれたのに御免』って、皆に頭下げて回ってたけど。」
「今何してる?」
「倉庫にいるよ。今日から工事を手伝うって。」
「そうか、普段通りなら別にいい。」

私も近くに腰を下ろし、床板の鉋がけを始めた。

「霧風お前さ、」

小龍が口を開いた。

「昨日こっちで大ブーイングだったぜ。項羽のこと『足手まとい』と言い放ったって?」
「……」

私は無言で木材を削り続けた。小龍はくすくす笑っていた。

「皆何にも分かってないよな。オレの次にあいつと過ごした時間の長いヤツが、今の事態に傷ついてない訳ないのに。」
「そんな殊勝な理由じゃない。項羽は半年前に死んだ、私はそう思ってるだけだ。」
「それだって昔の項羽が好きだったからだろ。あ、いや、別にそういう意味じゃなくて。」

思わず睨みつけた私に、小龍は慌てて首を振った。

「……昨日総司が言っていたのだが、」
「ん?」
「項羽の記憶を封じているのは、過去の生活に戻りたくないという無意識の拒絶感に違いない。だからその否定的感情を超える、記憶を取り戻す意義をあいつに悟らせることが最良の治療になる。」
「!」

私はちらりと小龍を見て、再び視線を手元に戻した。

「だが私は、無理に思い出させる必要はないと思ってる。昨日のことでますますその思いを強くした。眠らせておきたい記憶なら一生眠らせておけばいい。項羽はもう死んだんだ。私達がそう諦めれば、あいつをこれ以上追い詰めずに済む。」
「……」

小龍は鉋がけの手を止め、虚ろにふっと視線を落とした。
と、

「あぁいた、小龍おはよう!」

私達は顔を上げた。すぐ傍に凪とつららが立っていた。

「あら霧風、あんたもここにいたの? お疲れ様。」
「オレに何か用?」
「うん、項羽のことで話があるんだけど。」

小龍は遠慮したのか、私にちらりと視線を向けた。私は「お構いなく」と首を振り、再び黙々と鉋がけを始めた。

「あいつのことならあんたが一番知ってるだろうしさ。ちょっと訊きたいことがあって。」

凪がそう言ってつららの肩を叩いた。つららは促され、伏し目がちに切り出した。

「あの……本当は口止めされてたんだけどこんな事態だから話すね。小龍は、項羽の彼女が誰か知ってる?」
「!」

私の手が止まった。小龍も一瞬目を丸くしたが、すぐさま冷静に聞き返した。

「項羽の彼女? 何で突然そんな話を?」
「昨日伊達さんが言ってたの。項羽にはまず、昔を思い出す幸せを教えてあげようって。」
「自分に可愛い彼女がいたって聞けば、何か反応するかもしれないと思ってさ。」

凪が言い添えた。

──項羽に、恋仲の女が?──

何故か動揺して、私は視線の端で小龍の反応を窺った。彼はしばらく考えて答えた。

「御免、オレは知らない。それより『彼女がいる』って、項羽が言ってたのか?」
「そうよ。ね?」
「うん……」

凪がつららを振り返った。つららは小さく頷き、深々とうつむいた。

「あの、実は私ね……去年、項羽に告白したの。」
「なに!?」

思わず聞き返すと、つららが慌てて付け加えた。

「あのね、結局駄目だったの。『気持ちだけ受け取っとく』って、それで……」

呆気にとられた私を見て凪が笑った。

「項羽は競争率高かったんだよ。あんたには信じられないかもしれないけど、あいつが袖にした女の数は十や二十じゃ済まないんだから。」

私とは対照的に、小龍は妙に落ち着いた様子で黙って話を聞いていた。つららは赤い顔でひたすら足元を見つめていた。全く言葉の出てこない彼女に代わり、凪が説明を続けた。

「それで、この子が言うにはその時あいつが『オレの将来の嫁はもう決まってる』って言ってたらしいの。結局名前までは教えてくれなかったらしいけど。」
「……」

困惑しながら私は、再び小龍を盗み見た。彼は表情のない顔で二人を見つめていた。

「ま、小龍が知らないんじゃ誰も知らないね。こうなったら風魔のくノ一全員とっ捕まえて聞き出してみるわ。行くよつらら。」
「う、うんっ。」

つららが慌てて顔を上げた。「じゃあ」と手を振り、二人は道場の方角へ消えていった。私は複雑な気分で再び手元の木材を削り始めた。と、

「項羽に、そんな女いる訳ないだろ。」

小龍が、ぼそりと口を開いた。

「なに?」

私は顔を上げた。彼は出来上がった柱木を抱え、次々と台車に積み始めた。

「だってあいつ、告白もせず妄想だけ突っ走ってるヤツだったから。『将来の嫁』なんて、あいつが勝手に決め込んでただけさ。」

私はぽかんと彼を見つめた。探りを入れるように、低い声で尋ねた。

「……好意を抱く女はいたと?」
「向こうは、惚れられてることすら知らなかっただろうけど。」

小龍が微笑した。心臓にちくりと、細い棘が刺さったような気がした。小龍は木材を運びながら話し続けた。

「でも凪達のアイディアは悪くないな。その彼女が項羽の想いを受け止めて、あいつのこと本気で心配してくれたら何か変わる気がする。」
「私は、そうは思わないが。」

すかさず私は遮った。小龍の動きが止まった。

「その女が誰だろうが、項羽の回復を心底願おうが、あの男には届かないさ。」
「何故?」

小龍がじっと私を見つめた。私の胸に得体の知れない、澱んだ感情が広がっていた。自分の手元へ視線を落とし、私は冷ややかに答えた。

「……どうせ忘れられてしまう、その程度の女だったのだから。」

その後しばらく沈黙が続いた。私は重苦しい気分のまま、再び材木を削り始めた。と、

「霧風、」

小龍が口を開いた。穏やかだが、まるで私を諭すような声だった。思わず顔を上げると彼は、ただ憐れむような醒めた目でこちらを見つめていた。

「何だっ。」

たじろいで訊き返した。彼はふっと視線を落とし、乾いた声で答えた。

「項羽が好きだったの、お前なんだぜ。」
「なに?」

その時、

「おい小龍、出来上がった分持ってきてくれ!」

兜丸が遠くで声を張り上げた。小龍は「すぐ行く」と答え、台車をがらがら引きずっていった。人の気配が消え、辺りは途端に静かになった。

「……」

私は何故か力が抜けて、鉋に手をかけたままぼんやり座り込んでいた。先程感じた棘とは別の、重苦しい何かが心に圧し掛かっていた。

──あいつ、本気だったのか──

半信半疑で心に留まっていた項羽の告白。今頃他人からその真偽を聞かされるとは思わなかった。しかし、それが一体何だと言うのだろう。今となってはあの男自身が何も憶えていないというのに。
……その時、

「おはよう、やっぱりここにいたんだ。」
「!」

心臓が止まらんばかりに驚いて、私ははっと振り返った。あろうことか、私を見下ろしていたのは項羽だった。

「やっと捕まえた。君はいつも、オレを見ると逃げ出すから。」
「……」

露骨な警戒にもひるまず、彼は真正面から私に向き合った。

「オレを避けてるよね。どうして?」

私は立ち上がった。が、すかさず肩を掴まれた。

「皆がオレに言うんだ。オレと君は仲が悪くて顔を合わせる度に衝突していたって。」

私は振り返り、項羽を睨んだ。

「でも小龍だけは違うことを言う。皆の言うことは事実だけど、それがオレと君の会話だったと。君こそオレの一番の理解者で、オレが記憶を失くして一番傷ついているのは君なんだって。教えてほしいんだ、君にとってオレは何なの。オレ達は本当はどんな関係……」
「止めろ!」

耐えられなくなり、とうとう私は叫んだ。

「項羽は私を『君』とは呼ばない!!」
「!」

瞬間、私達の視線が宙で衝突した。

(あ……)
──しまった──

項羽の顔がこわばっている。それを見て私は、自分が彼の心を深く抉ってしまったことに気づいた。

「…… 悪かった。」

項垂れ、それだけ口にするのがやっとだった。

「……御免。」

項羽もそう言って頭を下げた。そして背を向け、坂を駆け下りていった。私はふらりとその場に座り込んだ。

(私、何をしているんだ……)

全身が重かった。打ちのめされ、鉋を引く力さえ残っていなかった。苛立ちを項羽にぶつけてもどうにもならないと、頭では解っている。彼自身が誰よりも苦しんでいて、記憶を取り戻すのに必死なのは知っている。しかし……

──君にとってオレは何なの──

それは、私こそ彼に訊きたかったこと。彼にとって私は一体何だったのだろう。あの告白が本気なら何故、こうも簡単に忘れることが出来るのか。

(どうして、私を忘れてしまったの……。)

視界が急にじわりとぼやけた。目を伏せると睫の端から一筋、涙がこぼれ落ちた。ようやく悟った。私が何故、今の項羽を拒絶し続けていたのか。私の存在、あの約束を憶えていない彼を“項羽”と認めるのが辛かったから。今の彼を認めてしまうと、かつての彼を永久に喪うような気がしていたから。

「項羽……」

鉋にかけた手の甲に、二粒、三粒と涙が落ちた。私に「愛してる」と言ってくれた、あの項羽が消えてから初めて、私は泣いた。声は殺せても、こぼれる滴は止められなかった。

──会いたい──

会いたい。叶うならもう一度、私にあの言葉を聞かせてほしい。あの約束を果たす為に、私の元へ帰ってきてほしい。

Found It 第4章 知らない男

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──オレと、付き合ってほしいんだけど──
──お前が私を愛してる? 有り得ないね──

項羽が去ったあの日から幾度も夢枕に浮かぶ情景。果たされなかった約束は、今や私の中にしか残っていない。

 昼食前の午前十一時。夜警明けの仮眠から目覚めた私は、外が騒がしいことに気づいた。

「どうした、何の騒ぎだ?」
「あ、おはようございます霧風さん。項羽さんが小次郎君と手合わせしてるんですよ。」

麗羅が答えた。

「項羽が?」
「ええ。流石ですよね、あの身のこなし。やっぱり体が憶えてるみたい。」

道場の前で二人が打ち合いを演じている。小次郎が多少手加減している様子ではあるが、項羽の反応も常人のそれとは比較にならない素速さだ。

「おはよう霧風。」

一旦手を止め、項羽が私に声をかけた。

「あ……ああ。訓練復帰とは随分気が早いな。」
「体に悪いところはないしね。それに、この方が早く思い出せるんじゃないかと思って。」
「ま、リハビリってとこだな。」

小次郎が得意げに付け加えた。項羽は微笑して頷いた。

「不思議だよね。自分のこと皆のこと、何にも憶えてないのに体は記憶してる。この手の中にオレが項羽だという証拠があるんだ。」

そう言って彼は左手に青い羽根を構えた。軽く腕を振ると羽根は空を裂き、木々の間を抜けて十間先の的に突き刺さった。歓声が上がる中、兜丸がぽんと手を打った。

「なぁ、昼飯食ったら久々に合同訓練やらないか? オレ達がどんな技使うのか見せたら何か思い出すかもしれないぞ。」

劉鵬が相槌を打った。

「それはいい考えだ。竜魔どうだ? オレ達も土方作業ばかりじゃ体が鈍るしな。」
「そうだな、早速総帥に許可を取ってこよう。」

とんとん拍子に話が進んでいく。私はただ一人、困惑しながら項羽を振り返った。

「……まだ、早すぎやしないか?」
「何言ってるんですか! 項羽さんは健康体ですよ。記憶を取り戻した時にすぐ復帰できるよう備えておかなきゃ。」
「そうそう、只でさえ半年もサボってんだしよ。」

麗羅と小次郎が揃って唇を尖らせた。項羽がくすりと微笑んだ。

「大丈夫だよ、君達がちゃんと手加減してくれればね。」
「……」

複雑な思いで私は彼を見つめた。

──私を「君」と呼ぶなんて──

毒気のない穏やかな微笑はかつての項羽とあまりにかけ離れている。私の知らない男を皆が“項羽”として扱っていることに、私は密かに強い拒絶感を覚えた。

 午後二時。私達は再び道場傍の広場に集まっていた。総帥の許可を得て本日の作業を免除してもらったのは総勢九人。風魔の主力組である一番隊の面々と、その私達以上の実力を秘めた期待の後輩・小次郎だ。

「では初めに二人一組になり、模範演技を行う。」

竜魔が手筈を説明し始めた。

「時間は三分。その中で互いに持ち技を掛け合う。あくまで演技だから相手に怪我を負わせないよう配慮するように。面倒だから組み合わせは年齢順で行くぞ。麗羅と小次郎、小龍と霧風、琳彪と兜丸、そして劉鵬とオレだ。では麗羅と小次郎、お前達から始めてくれ。」
「はーい。」
「えぇ? 前座って大抵ザコの役目じゃねーの?」
「ほーぉ小次郎、なら誰がザコだと?」

怖い先輩達に四方を取り囲まれ、小次郎は愛想笑いを作りながら渋々前へ出た。

「ったく、口だけは一人前どころか三人前だぜ。」
「まーまー、確かにあいつの潜在能力はオレ達より上だよ。」
「ほら、しっかり見ておけよ項羽。」

小龍が声をかけた。項羽はやや緊張気味に頷いた。

「では構えて。始め!」

竜魔の合図で二人が踏み出した。

「じゃあ早速オレから行くぜ! 風魔烈風!!」

ヒュオオオォォォォ……!!

小次郎が木刀を振り下ろすと共に、激しい風が巻き起こった。

「凄い風……!」
「小次郎は風魔の正当派。一応宗家の血筋だからね。」

小龍の講釈を聞きながら項羽は、対峙する二人を真剣な顔で見つめていた。

「ちょっと小次郎君、手加減してくれないと本当に吹っ飛ぶんだけど!」
「んなこと言ったって真剣味が足りないと戻る記憶も戻らねーだろ! そらっ!」
「止めてよぉ! オレがあんまり剣技得意じゃないの知ってるくせに!」

泣き言を喚きながら麗羅がじりじり下がっていく。残念ながら木刀一本では到底彼は小次郎に及ばない。

「もう、覚悟しなよ小次郎君!」

小次郎の太刀を何とかかわし、麗羅は木刀で宙に円を描いた。

「風魔、朱麗焱!!」

ふわ……

円に沿って薄紅色の花びらが舞い上がり、風と共に一面を漂った。きょとんとしている項羽に小龍が笑って説明した。

「あの花片はカムフラージュ。朱麗焱の真骨頂はこれからさ。」

その言葉が終わるや否や、地面に落ちた花びらが激しい勢いで燃え上がった。

ボゥッ!!

四方から次々に火が上がった。それは瞬く間に巨大な炎へ変わり、小次郎の周囲を包み込んだ。一同がくすくす笑い出した。

「ったく、手加減なしはどっちだか。」
「見た目と違って過激だからな麗羅は。」
「どう? やるだろ二人とも。」

小龍が振り返った。しかし項羽は何故か、炎を凝視したまま蒼白の顔で硬直していた。

「項羽? どうした?」

小龍が訊ねた。途端、項羽の体が膝から崩れた。

「項羽!?」
「……あ…… ああああぁぁぁぁっ!!!」
「!?」

絶叫が耳をつんざき、皆が驚いて振り返った。

「項羽さん!?」

麗羅も技を引き、小次郎と共に駆け寄った。項羽は地面にうずくまり、怯えるように頭を抱えて体を丸めていた。

「おい、しっかりしろ!」
「項羽、大丈夫!?」

小龍と兜丸が項羽の顔を覗き込んだ。

「どうしたんだよ! 落ち着け!」
「ひっ……うああぁぁぁ!!」
「項羽!!」

小龍が背中をさすっている。項羽は全身を震わせ、何かに恐れ戦いていた。

「……そら見ろ、やっぱり無理だったんだ。」
「霧風さん!」

思わずつぶやいた私を、麗羅が恐ろしい形相で睨みつけた。独り言の筈が少し声が大きかったようだ。
と、

「残念だが美人ちゃんの言う通りだよ、可愛い坊や。」

急に、背後から知らない女の声が聞こえてきた。

「誰だ!?」
「あ……!」

私は思わず声を上げた。振り返った先に立っていたのは、真紅の長衣に身を包んだ栗色の髪の女……

──彼女だ──

以前この里に竜魔を訪ねてきた、あの女だった。
私達が呆気にとられている中、彼女は項羽へ歩み寄り、そっと背中に手を添えた。

「落ち着いて……大丈夫、何も怖がることはない。」
「総司!? お前何でここに!?」

突然、小次郎が叫んだ。

「なに?」
「この女を知ってるのか!?」

皆が一斉に振り返った。「総司」と呼ばれた女が顔を上げた。

「久しぶりだな小次郎。竜魔に聞いてないのか? この坊やを助けたのは私だって。」
「い!?」
「ちょ、ちょっとお前ら、どういう知り合いだよ!?」
「この女何者だ!?」

皆が彼女を取り囲んだ。女は項羽を気遣いながら答えた。

「私は伊達総司。小次郎や竜魔とは聖剣戦争の時に縁があってな。」
「だ、伊達っ……!?」
「あの、傭兵の伊達総司か!?」

思わぬ名前に場が騒然となった。あの飛鳥武蔵と並び称される、現代の日本に於ける最強の刺客の名。私も思わず竜魔を振り返った。竜魔は「だから言っただろう」と言わんばかりに肩をすくめた。

「……立てるか? ああ、何も怖がらなくていいよ。静かなところで少し休もう。」

ようやく落ち着いた項羽を促し、総司が立ち上がった。

「あ、オレが連れてくから!」

慌てて小龍が遮った。総司は同じ顔の少年に目を丸くしたが、すぐに「頼むよ」と微笑んだ。二人が場を離れるのを見届け、竜魔が彼女に近づいた。

「何だお前、わざわざ様子を見に来てくれたのか。」
「まあな、仕事が立て込んでて随分遅くなったけど。それにしても久々だね、ダーリン☆」
「エッ!?」

一同が一斉に竜魔を振り返った。

「この場でそういう不謹慎な冗談は止めろっ!!」

大慌てで竜魔が叫び、総司はにやりと笑った。何処となく以前の項羽に通じるものを感じ、私は思わず顔をしかめた。

「……さっきあんた、『霧風の言う通り』と言ったな。」

琳彪が恐る恐る話しかけた。総司が振り返った。

「ああ。あの坊や、炎を極度に怖がるんだ。」
「なに?」
「私も最初は気づかなかったんだが入院中、病院の喫煙室の前を通りかかった途端パニックになってな。ライターの炎を目にして錯乱状態に陥ったようだ。」
「な……」
「私が彼を発見した時にも体中に火傷を負っていたから、もしかしたらその記憶が残っているのかもしれない。」
「!」
「じゃあ項羽さんはさっき、オレの朱麗焱で……!?」

麗羅が蒼ざめた。一同がしんと静まり返った。

「……」

気まずい沈黙に耐えかね、私は大袈裟に溜息を吐いた。

「やはり実戦復帰は無理だな。今の項羽は単なる足手まといだ。」
「!」
「霧風!!」

一同が私を振り返った。私は無言で木刀を拾い上げ、道場の中へと早足で戻っていった。

「信じられない。項羽のヤツ、本当に元に戻れるのかな。」
「悲しいよね。あんなに強くてカッコ良かった項羽が、蝋燭一本でパニックになっちゃうなんて。」

夜になり、私達は板間に引いた寝床の上で就寝前の時間を過ごしていた。凪とつららの会話を傍らで聞き流しながら、私は重苦しい気分で押し黙っていた。

──全く、どうしようもない──

項羽は夕食の時間には平静に戻っていたが、皆の態度は腫れ物に触るように一変していた。たまたま今まで調理場に立ち寄ることもなく行灯の裸火を目にすることもなかった彼だが、皆は今後一層彼から火を遠ざけようと細心の注意を払っていた。その不自然さがますます場の空気を重いものにしていて、私はいたたまれず夕飯の半分を残して逃げ出してしまった。

(どうして皆分からないんだ。項羽は既に死んだ、それでいいじゃないか。)

そんな私の思いは一層強くなってしまった。帰ってきたのは私の知らない男。よそよそしい笑顔も腑抜けた様も、全てが私の心を波立たせる。

──もう、いい加減にしてくれ──

何もかもうんざりして頭から布団をかぶった、その時。

「御歓談のところ失礼、もう一人入るスペースはあるかな?」

突然、頭上から声がして私達は顔を上げた。布団と枕を脇に抱えた伊達総司が立っていた。

「ど、どうぞっ! ここ空いてますから!」

凪が慌てて起き上がり、散乱していた荷物を横へと退けた。総司は「少し様子を見たい」としばらく里に滞在することを決めたらしい。

「有難う。竜魔のテントに入れてもらおうと思ったら物凄い剣幕で追い出されてね。」

冗談とも本気ともつかぬ笑顔で彼女はそう言った。凪とつららがわっと沸き立つ横で、私は冷静に尋ねた。

「項羽の今の状態、聞いたか?」
「ああ。周囲の努力も空回り、仲間の催眠療法も功を奏していないそうだな。」

布団を敷きながら総司が答えた。つららがおずおず尋ねた。

「あの、もしかして脳にダメージを受けているとか……」
「それはないよ。入院中に何度もMRIを撮ってる。」

首を振り、総司は布団に潜り込んだ。

「それについて、今日の一件で思い当たったんだが。」

私が切り出した。

「もしかして項羽は、“恐怖”のために自ら記憶を封じているんじゃないのか?」
「なに?」

総司が顔を上げた。凪とつららも私の顔を見つめた。

「精神的負荷が記憶喪失の引き金となる例は多いと聞く。極限状態の体験は、一切の記憶を消し去るほどの心的外傷になり得ないか。」

つららがすかさず遮った。

「待ってよ霧風、項羽は一番隊の戦士だよ!? 一度死にかけたくらいでトラウマなんて!」
「ならば他にどんな理由があるんだ。」
「知らないけど、絶対違うってば!」
「有り得ない話じゃないと思う。」

凪が割り込んだ。

「さっき夢魔が言ってたんだけど、項羽じゃなかったらとっくに元に戻ってるだろうって。項羽ってほら、好き勝手なこと喋ってる風で実は全然本心見せないタイプだったじゃん。自分を律する力が強いから強烈に自己暗示かけちゃって元に戻れないんだって。その自己暗示にはきっかけがある筈だって、夢魔はそう言ってた。」
「そんな……」
「小龍達の前では黙っていたが、」

私が再び口を開いた。

「記録をひっくり返したら昔、この里で同様の事例が何件かあったらしい。死線を潜り抜け戻ってきたはものの健忘に陥った例がな。記憶を取り戻した者も中にはいたようだが、精神に傷を負い二度と戦場に戻ることが出来なかったそうだ。」
「!」

三人の視線が私に集まった。私は「あくまで私の考えだが」と断り、続きを述べた。

「あいつを無理に元に戻そうとする必要はないんだ。幸い今は不穏な気配もないし、もし何かあっても私達が盾になってやればいい。今まで一線で働いてきたんだ。戦えないならもう休ませてやればいいだろう。」
「霧風……」

凪がじっと私を見つめ、小さく頷いた。

「やっと納得したわ。男共があんたのこと冷たいって言ってたけど、そうじゃないんだね。あんたは項羽を気遣って、危険な日常に戻したくないんだ。」
「まさか。」

私は力なく首を振った。そんな優しい心など私は持ち合わせていない。私はただ、既に“項羽”ではない男に何の感情も持てないだけなのだ。

「……やだよ、霧風がよくてもあたしは嫌!」

突然、つららが声を上げた。

「つらら?」
「嫌! 項羽が今のままなんて、絶対に、嫌っ……!!」

顔を手で覆い、彼女は突如声を上げて泣きじゃくった。凪が手を伸ばし彼女の頭をそっと撫でた。総司はいささか驚いたように瞬き、すぐに私を一瞥した。

──何故泣くんだ──

私も当惑しながら事態を見つめていた。度を失ったつららを目の当たりにし、胸の内に醒めた思いと羨望の思いが同時に湧いていた。忍である以上、人前で感情を露わにするなど決してあってはならないこと。しかし、喪失の悲しみを素直に表現できる彼女が少し羨ましかった。

「ならば、きっかけを探してみようか。」

総司がふっと微笑した。つららが顔を上げた。

「きっかけ……?」
「もし引き金が恐怖だとしたら、項羽が記憶を封じている原因は自分が戦い続ける宿命にあるという、その事実だろう。私は以前の彼を知らないが、忍でありながら本音では命のやり取りを好まない男だったのかもしれない。極限状態の恐怖と厭戦の情が相まって、以前の自分に戻ることを拒んでいる可能性がある。」
「じゃあ、どうやって……」
「簡単さ。全部思い出す方がずっと幸せだと、あの坊やに分からせてやればいいんだ。」
「!」

と、その時。

「さあ消灯時間だよ。お喋りはまた明日!」

誰かの声がして次の瞬間、室内の灯りがふっと消えた。呆気にとられつつ、私達は仕方なく各自の布団へ潜り込んだ。

Found It 第3章 桜の下にて

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「ほら、こっちが項羽でこれがオレ。毎年誕生日に一緒に写真撮ってたんだぜ。これは九つの時。この年は雪が凄くて、二日前にオレが吹き溜まりに落ちて足折っちゃってさ。正月もずっと松葉杖だったんだ。」
「……」

積み上げられた木材に腰掛け、小龍がアルバムを開きながら懸命に説明している。項羽は困ったような、虚ろな表情で写真を見つめている。彼が風魔の里に帰ってきてから半月が過ぎた。当初すぐに戻ると思われていた彼の記憶は、夢魔の治療の甲斐もなく全く回復していなかった。

「必死だな小龍のヤツ。」

釘を打ちながら兜丸がつぶやいた。

「何つーか、まるで項羽の彼女みたいだ。」
「こらっ、変なこと言っちゃ駄目ですよ兜丸さん!」

障子を貼っていた麗羅がたしなめた。他の皆が建設作業に勤しむ中、項羽は独り、記憶を取り戻すための作業とやらに専念させられていた。里中を歩き回ったり休憩中の兄弟達に話を聞いたり、記憶を手繰るというよりは“項羽”という人間の足跡を辿っているだけのようにも見える。

「昔を思い出そうにも環境が悪すぎるぜ。元いた家はぶっ壊れてるし、私物は大半が瓦礫の中だしな。」
「霧風さん、同期のよしみで何かないんですか? 寺屋でも項羽さんと一緒だったじゃないですか。」

麗羅が私を振り返った。私は即座に首を振った。

「私があいつに関わるような品を保管していると思うか? 第一、寺屋絡みならとっくに小龍が持ち出してるさ。」

寺屋、すなわち学校のこと。項羽・小龍の兄弟と私は生まれた年度が同じで、教門も一緒に学んできた同期の間柄だ。項羽は日頃は弟の宿題を丸写しして何食わぬ顔をしているようなヤツだったが、試験の成績は常に上位だった。私達の学年は優秀な戦士が多く「当たり年」と呼ばれている。技と学に優れ顔にも恵まれた彼ら兄弟はその筆頭に違いない。

「焦ってどうにかなることでもないだろう。皆で寄ってたかって思い出話を吹き込んでどうするんだ。」

吐き捨てるようにつぶやき、私は立ち上がった。

「ねえ兜丸さん、」

歩き出した私の背後で麗羅が聞こえよがしにつぶやいた。

「霧風さん、ちょっと薄情じゃありませんか? 確かに項羽さんとは仲悪かったかもしれませんけど。」
「麗羅!」

兜丸が慌てている。私は聞こえないふりをしてその場を離れた。

(確かに、そうかもしれないな。)

彼の非難はあながち間違ってはいない。戻ってきた項羽に対し私は、自分でも驚くほどに冷淡だ。

 夜になり、私は独り静まり返った里の中を歩いていた。うっすら冷えた空気の中、夜風に乗って微かな花の香りが漂ってくる。今日はひと月に一度の夜警番の日。当番は一晩につき五名だが、外部との関である千尋谷を除き各所一人ずつの配置となっている。
建設中の家々を通り過ぎ、やがて私は里の外れの野原に辿り着いた。田植えを控えた水田の傍ら、月灯りを浴びて一本の桜の樹が立っている。盛りを迎えた満開の花が暗闇に白く浮かんでいた。

──そういう季節なのか──

花の下まで辿り着き、私は足を止めて樹を見上げた。近頃は様々なことがありすぎて季節の移ろいを気に留めることもなかった。誰が植えたのか、この山奥の里には珍しい染井吉野の古木だ。染井吉野は桜の中でも寿命が短い品種と聞いているが、少なくともこの樹は私の幼い頃と変わらぬ勢いで花を咲かせている。しかし、

(もう、葉が出ている。)

私は思わず眉をひそめた。枝の先に小さな若葉が顔を覗かせている。白にも見紛う花の淡い紅に対して若葉の緑はあまりにどぎつい。染井吉野は八部咲きが最も美しく、満開を迎える頃には醜い終焉が見え隠れする。

 一年前の春の宵。私と項羽、そして竜魔の三人は、夜警の持ち場に向かう途中この木の下で足を止めた。

『見事に咲きましたなぁ、今年も。』

おどけた口調で項羽が言い、そのまま私を振り返った。

『夜の桜って綺麗過ぎて何だか寒気がするよな。「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」は坂口安吾だっけ? 文学少女さん。』
『梶井基次郎だ。坂口安吾は「桜の森の満開の下」。』
『やっばい、近代文学史は赤点だなオレ。』
『……』

その瞬間、私はうっかり返事したことを後悔した。項羽は多分わざと間違えたのだろう。端から正解を言うと私に無視されることを知っているのだ。

『染井吉野は好きじゃない。』

苦々しげに私はつぶやいた。

『咲いている時はともかく散り際が見苦しい。散った花片は地面で腐り、枝に残るのは萼と気の早い葉だけだ。』
『そうか? オレはそうは思わないけど。』

すかさず項羽が異議を唱えた。

『染井吉野が特別汚い訳じゃない。死はどのみち醜くて目を背けるべきものさ。』
『同じ死ぬでも死に方を選ぶ余地はある。花も、そして私達も。』
『死に方の美醜で好き嫌い言われたらかなわないぜ。花だろうが人間だろうが死に至る過程、死んだ後の姿、生きてる間に精一杯綺麗に咲けたならそんなもの大した意味はない。』
『私は無様な最期は御免だ。死ぬ為に生まれた私達なのだから、その瞬間にこの樹のような醜態を晒したくない。』
『今から死ぬ時のこと考えてどうすんだよ。それより一日でも長く生きて一つでも多くの任務こなすこと考える方がよっぽど前向きじゃないのか?』

大した意味もないのに次第に熱を帯びてくる応酬。最初に好き放題の意見を提示し、私は深追いせず項羽がしつこく突っ込んでくる。だが私が適当な態度を取るのは、その方が彼からより多くの言葉を引き出せることを経験的に知っていたからかもしれない。

『お前達は二人とも間違っている。』

埒のあかないやり取りにうんざりしたのか、とうとう竜魔が口を開いた。

『そもそも花が散るのは死ではない。次の季節へ移る段階の一つだ。』

私達はぽかんとして振り返った。

『そういう話じゃないんですけど……。』

項羽が苦笑をこぼした。

 ──年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず──

漢詩の一節がふと、頭を過ぎった。

(結局、竜魔が一番正しかったんだな。)

奇妙なおかしさがこみ上げ、私は乾いた微笑を浮かべた。桜の花は今年も変わらず咲き誇り、それを眺めていた私達の方が変わってしまった。

(この樹はただ、生きているだけ。)

私は再び花を見上げた。春が巡れば花が咲き、いずれ緑の葉が生い茂る。それは生物としての桜の本能。美しいだの醜いだの、それは人間の勝手な主観に過ぎない。しかし、

──生きていればいいというものではない──

そんな思いが頭を掠め、私は顔を曇らせた。
と、

かさっ

「!」

人の足音を聞きつけ、私は顔をこわばらせた。項羽と小龍がこちら目がけて歩いてくる。私は何故か、咄嗟に木立に身を隠した。

「綺麗だろ? 父さんと母さんが生きてた頃は四人で花見もしたんだぜ。相当昔だからオレもよく憶えてないけどな。」

前を歩いてきた方が語り掛けた。後ろの男は無言のまま、じっと花を見上げていた。そして悲しげに項垂れ首を振った。

「……御免、分からない。」
「焦ることはないよ。オレはお前にこの花を見せたかっただけだから。」

小龍はそう言って微笑んだが、項羽は曇った表情のまま再び桜を見上げた。

「オレ、」
「ん。」
「本当に、ずっとここに居ていいの。」

小龍が項羽の顔を覗き込んだ。項羽は虚ろな眼差しで花の群れを見つめていた。

「どういう意味。」
「だって、何を見てもよそよそしいし、皆も優しいけど他人行儀で……」
「憶えてないんだから当たり前だろ。皆だって、前のお前を知ってるから少し調子狂ってるだけ。」
「あの……本当にオレ、ここの人間なの。」
「あのな、」

小龍が兄の正面に回り込んだ。そして彼の左手を取り、自分の頬に宛がった。

「疑う余地が何処にある? オレの顔が何よりの証拠だ。」

そのまま彼の肩に手を置いて、小龍は言い聞かせるようにささやいた。

「いいか項羽、お前が何も思い出せなくてもオレとだけは絶対に繋がってる。オレはいつまでもお前の弟、それは何があっても変わらないだろ。」
「……」
「だから、何も心配するな。」

小龍が微笑んだ。項羽はしばらく彼の顔を見つめ、小さくうなずいた。ひらひらと一片、花びらが二人の間に舞い落ちた。それを合図に重なった影は再び二つに分かれた。と……

「!」

顔を上げた小龍が、木陰に立つ私に気づいた。項羽も振り返った。私は思わず身構えた。

「当番か? お疲れ様。」

小龍はすぐに笑顔に返った。

「こんばんは。」

逆に項羽は緊張した面持で、弟の陰から頭を下げた。

──他人行儀はどっちだ──

唐突に湧き上がる苛立ちを我慢し、私は二人に背を向けた。

「何だよ、オレ達の顔見るなり何処行く気。」
「人の居る場所を見回る必要はない。」
「相変わらず愛想がないヤツだな。」

思わず睨みつけると、小龍がくすくす笑う陰で項羽は遠慮がちにこちらを見つめている。目が合った瞬間、私は露骨に顔を逸らした。

「! あの、」
「そろそろ行こう。じゃあな、霧風。」

小龍が遮った。項羽はまだ何か言いたげだったが、小龍が袖を引っ張った。二人は闇の中へと消えていった。

「……」

ようやく独りになり、私は深い溜息をついた。と、

「こら、項羽が怯えていたぞ。」
「!」

振り返ると苦笑いの竜魔が立っていた。彼は渋い顔の私の前を横切り、桜の樹へ近づいた。さわさわと風が鳴り枝の先が震えている。目の前を花びらが掠めていった。

「何しに来たんだ。」
「オレに夜桜見物は似合わないか?」

竜魔はすまし顔で答え、ちらりと私を見た。

「項羽はもっとお前と話したいらしい。だが拒絶されているようだと気にしていたぞ。」

私は思わず顔をしかめた。

「一体何が気に入らないんだ。あいつが戻ってきて以降、ずっと避けているだろう。」
「そんなつもりはない。特に歓迎する必要もないと思っているだけだ。」
「そうか? オレはてっきり、小龍の次に喜ぶのはお前だと思っていたがな。」
「……」

私は険しい顔のまま、竜魔に背を向けた。

「霧風、」
「さっき小龍が言っていた。自分は項羽の弟で、それは何があっても変わらないと。」
「なに?」
「でも私は小龍ではない。」

私はゆっくり顔を上げた。白い花の塊が雲のように頭上に浮かんでいた。

「私は赤の他人だ。私と項羽の間にあるのは共有してきた時間の記憶だけだ。それが喪われた今、私達に通い合うものは何も残っていない。……私は、縁故のない男にわざわざ関わりたいとは思わない。」
「……」

呆気にとられたのか、竜魔は何も言わなかった。思いを声にすればするほど何故か、心が空虚になるような気がした。確かに項羽の帰還は喜ぶべきことだろう。しかし失望、落胆はそれ以上に大きかった。

──あいつは何一つ憶えていない──

日々の出来事、交わした言葉、そしてあの夏の日の約束……それならいっそ、あの時死んでくれていた方がよかったと、そう思うのは私だけなのだろうか。
風が一陣、私達の間を駆け抜けた。黒い闇の中、白い花びらが一斉に舞い上がった。桜吹雪は音もなく、無数の羽根のように降り注いだ。

Found It 第2章 帰還

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「おはよう、みんな。」
「おぅ、おはよう霧風。」

朝食の後、私は今日も本陣の建設現場にやって来ていた。皆が住処を失った今、夜の避難所は男女で別の場所に分けられている。男達が寒空の下でテントを張る一方、女達は突貫工事で落成した道場の中で身を寄せ合って夜明かししている。私も夜警番の日以外は道場で寝泊りしている状態だ。

「霧風、知恵を貸してくれ。トラブル発生だ。」

兜丸が話しかけてきた。

「何かあったのか?」
「適当に建て始めたのが悪いんだが、地面の下にとんだ障害物が見つかってな。」
「項羽のヤツが勝手に隠し部屋作ってたんだよ。」

兜丸の横から小龍が口を挟んだ。

「項羽が?」
「部屋っつーか鉄の箱だな。小さい鉄板をちまちま溶接して、二畳くらいのデカい空間作ってやがった。」
「扉らしきものはあるんだけど、暗号式の鍵がついてて開けられそうもない。」

梁と柱だけの建物をくぐり、私は問題の小部屋を覗き込んだ。土の中に錆だらけの金属の壁が顔を覗かせている。これ見よがしに取り付けられた巨大なダイヤルは、迂闊に回したら罠でも作動しそうな雰囲気だ。

「別に、また埋め戻せばいいだろう。」
「いや、それは……」

小龍が口ごもった。立て続けに起こる事件に忙殺されていた彼も、暇が出来た最近はふとした折に項羽を思い出して顔を曇らせている。兄の存在の証拠を何とか残しておきたいという気持ちは分からなくもない。が、

「項羽の隠し部屋なんて不発弾も同然だ。埋め立てた方がよっぽど皆の為になる。念を入れてダイヤルはセメントで固めた方がいい。」
「またお前そういうことを……」
「流石霧風、死人にも手厳しい。」
「!」

笑い出した兜丸に突如、小龍が気色ばんだ。

「おい待てよ、死んだとは限らないだろ!?」
「……は?」
「オレは、項羽はいずれ帰ってくるから処分するのはまずいって言ってんだよ!」
「えっ?」

真顔の小龍に兜丸がぽかんと口を開けた。何か言おうとした彼を制し、私は小龍をなだめるように言った。

「ならば、基礎を少し動かして間取りを変えよう。この辺はまだ梁も渡してないしな。」
「エ!? おい霧風、」
「要するに、入口の上に基礎や柱が来なければいいんだろう? その代わりこの上の部屋は狭くなる。言い出したヤツの責任として、お前の部屋はそこに決定だ。」

兜丸はぽかんと私達を見比べた。小龍は顔を赤らめ、小さく頭を下げた。

「……ありがと、霧風。」

兜丸が溜息をついた。

「ったく、材木切直しだぜ。」
「どうせ素人の日曜大工だ。思うように進まなくて当然さ。」

私は涼しい顔で答えた。と、その時。

「霧風、ちょっと来てくれ。」

背後から竜魔の声がした。今日は朝から大人気だ。振り返ると彼の陰で風魔総帥が手招きしている。彼も華悪崇の刺客に深手を負わされ、ようやく床を出られるようになった今も杖が手放せない状況だ。

「何か御用ですか。」

駆け寄ると総帥は頷き、急に声を潜めた。

「火急の用件だ。他の皆には秘密で向かってほしい。」
「任務、ですか?」
「別に誰でもいいのが工事現場から男手を動かしたくなくてな。とは言え、罠の可能性を考えるとくノ一を使うのは躊躇われる。」

怪訝な顔の私を見て、竜魔が口を挟んだ。

「大した任務ではない。ある場所に行き、ある情報が事実かどうか確認してきてほしいんだ。」
「ある情報?」
「行けば分かる。それが真実ならばな。」
「なに?」

追求を阻むように総帥が再び口を開いた。

「とにかく、指示する場所に急いで向かってくれ。確認が取れ次第、お前の判断で最善の策を採って帰ってきてほしい。」
「?……」
「では頼んだぞ。」

それ以上彼は何も語らず、呆気に取られる私を置いて自分のテントへと引き返していった。

「おい何なんだ一体。そんなに口にしにくい情報なのか?」

早速竜魔に噛みつくと彼は小さく首を振った。

「そういう訳ではないが、他の連中に漏れて、しかも誤報だった場合に収拾が厄介だからだ。」
「何だか知らんが勿体ぶりすぎだ。まさか、例の女が絡んでいるんじゃないだろうな?」
「霧風!」

途端、竜魔の顔が赤くなった。
死紋の乱の直後、ひと月ほど前のこと。一人の女が突然、風魔の里を訪ねてきた。「訪ねてきた」というより「忍んできた」という方が的確だろう。竜魔に内密の用があったらしく、たまたま里の外れで二人きり語らうのを見かけた私以外は彼女の来訪自体知らないはずだ。勿論私はこの件について後から竜魔を問い詰めたのだが、

『あいつは同業者だっ。オレ達が情報交換していたことは誰にも言うなよ!』

と鬼の形相で口止めされてしまった。相手がいかつい男なら納得もするが妙齢の女となれば話は別だ。こんな山奥にふらりと来られる辺り「同業者」には違いないが、密談の内容が本当に「情報交換」だったかどうかは疑わしい。

「とにかく、行ってほしい場所はここだ。」

竜魔が地図を取り出した。何処かの街の一角に赤いペンで×印と「佐々原」なる名前が書き込まれている。

「ここにあるのは一般の住宅だ。一日張り込んでこの家の住人を確認してきてほしい。」
「素行調査か?」
「そこまでする必要はない。会えばすぐ目的は分かるはずだ。」
「だから何が目的なんだ。」
「行けば分かる。済まん、今はそれしか言えない。」
「何も分からなかった場合は?」
「その時はすぐ戻ってきて、そう報告してくれればいい。」

竜魔は地図を私に差し出し、建設中の倉庫へ去っていった。

「どうした、任務か?」

すかさず小龍が近づいてきて地図を覗き込んだ。秘密と言い渡されたものの、私自身何も聞かされていないため隠す気にもなれなかった。

 身支度を整え山を降り、地図の示す場所へ辿り着いたのは夕方だった。

「桜が丘八丁目……この辺だな。」

市街地の外れにある住宅地。高台から見下ろす景色の中に、西日が輝く水平線が見える。山育ちの私には珍しい光景でつい足を止めて眺めてしまった。もうすぐ日が暮れる。一晩夜明かしして明日の午後までにはここを離れたいところだ。

(明るいうちに標的を確認しておくか。)

私は早速、電柱や表札を頼りに目的の場所を探し始めた。しかし複雑に入り組んだ路地を辿るのは骨の折れる作業だ。しかもこの時間帯は飼い犬の散歩に出ている住民が多く、うろうろしている余所者はあからさまに不審人物だ。

(! ここか。)

目的の家をようやく発見し、私は安堵の息をついた。玄関脇、カントリー調の郵便受けに「佐々原絹雄」という名が確認できる。そのすぐ下には「依子」「パルフェ」という名前が続いている。依子は恐らく絹雄の妻、パルフェは犬か猫だろう。と、突然玄関の扉が開いた。

「買い物行ってくるわね。」

そう言いながら現れたのは中年の女性だった。私は電柱の傍に足を止め、懐から携帯電話を取り出して電話をかけるふりを始めた。こうすれば立ち聞きを怪しまれないと凪に教わったテクニックだ。もっとも電波など届くはずもない風魔の里、この携帯電話がモックアップであるのは言うまでもない。

「じゃあ今夜は湯豆腐にしましょうか。どうせあの人帰ってこないし簡単に済ませましょ。他には? あ、パルフェの御飯ね! 忘れてた。」
(なに?)

怪訝に思い、私は視線の端で女性の様子を覗った。彼女は佐々原依子に違いない。しかし家の中にいるのは絹雄ではないようだ。表札に名前のない住人がいるのだろうか。それとも独立した息子か娘でも帰省しているのだろうか。

「悪いけどお花の水遣りお願いできる? じゃあ行ってきます。」

そのまま依子は車に乗り込み、私の来た方向へと走り去った。明るい茶色の髪をした五十前後の女性。中肉中背で人の良さそうな丸顔……外見的特徴を記憶に刻み込み、私は再び家の中へ視線を移した。会話の相手は何者だろう。花に水を遣るのなら程なく顔を出すに違いない。とは言え流石に長電話の演技が辛くなり、私は何処ぞにメールを打つ真似を始めた。

ギィ……

思った通り、二分と立たぬうちに再び扉が開いた。すかさず注意を向けた私は次の瞬間、我が目を疑った。

「小龍……!?」
──どうして──

何故今、小龍がここにいるのだろう。彼は今頃、風魔の里の工事現場で汗を流しているはずではなかったか。

「!」
(まさか!?)

刹那、突飛な考えが頭を過ぎった。息苦しさを押し殺し、私は更に目を凝らした。ビニールホースを蛇口に繋ぎ、小龍に瓜二つの少年は肘までシャツの袖をまくった。

(……!!)

カシャーン!

模型が手から滑り落ち、アスファルトにぶつかって跳ね返った。少年の左腕を白い傷痕が斜めに横切り走っている。

──嘘だ──

痛烈な目眩を覚え、私は思わず電柱に手を添えた。見間違える筈もない……幼い頃に刀を合わせ、私が負わせた傷なのだから。

「項羽……!!」

有らん限りの声で、私は叫んだ。歩いていた住民達が一斉に振り返った。少年も顔を上げ、驚いたように私の顔を見つめた。

「項羽!! 生きていたのか……!?」

人の目も忘れ、私は再び叫んだ。彼もまた目を見開き、呆然と私の顔を見つめていた。何か言おうと思いながら声が出てこなかった。

「……」

やがてホースを足元に置き、彼は私へと歩み寄った。

「項羽!」

何故か食い入るような眼差しを向け、彼は穏やかな声で私に問いかけた。

「オレを、知っているの。」
「な、なに?」

言葉の意味が分からず、私は怪訝な顔で彼を見つめた。金色の西日が顔に深い影を落としている。瞳が瞬きもせずに私を凝視している。その瞬間、

「!」

悪い想像が脳裏を掠めた。私は震える声で尋ねた。

「まさか、私が分からないのか……?」
「……御免。」

彼が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「御苦労だったな。」

里に戻った私を竜魔が待っていた。本陣裏手から続く坂の上、建設中の倉庫の前。すっかり夜も更けていて私と彼以外周辺には誰もいなかった。

「どういうことだ、まさか項羽が生きていたなんて。」

私が口を開いた。

「オレも知ったのは昨日なんだ。しかも情報が曖昧で、お前に確認してもらうまでは半信半疑だった。」

竜魔はそう答え、ポケットから何かを取り出し私に示した。

「衛星電話?」
「ああ、ここでも通じると言われて預かっている。この前オレに会いに来ていた女、情報源はあいつだ。」
「!」

私は唖然として竜魔を見つめた。どうやら彼の主張通り、あの女は単なる“彼女”ではないようだ。

「彼女は何者だ?」
「何れの集団にも属さない、流れの傭兵だ。裏の事情にはオレ達忍以上によく通じている。だから、華悪崇の一件のようなキナ臭い情報が引っかかったら即座に回してもらう約束をしているんだ。」
「それで、今回はどういう電話がかかってきたんだ。」
「別に事件ではない。オレ達が夜叉と戦っている頃、あの女も別件で近くに張り込んでいたらしくてな。項羽を助けたのはあいつなんだ。」
「!」

私は思わず竜魔の顔を見た。

「周囲の状況と傷の具合から同業者だということはすぐ分かったらしい。しかし素人が手当てできる怪我でもなく、懇意の病院に運び込んだのだそうだ。ところが項羽は自分のことを何も覚えていなかった。それで仕方なく、退院後も医者の家で世話になっていたようだ。」
「その医者が佐々原か。」
「当然ずっとそのままにも出来ないからと、あの女が昨日になってオレに照会してきたんだ。年の頃十五、六。身長六尺弱、左前腕に古い刀傷あり。優男で羽根を扱う忍を知らないか。心当たりがなくても風魔の里で預かってもらえないか、とな。」

私は何を言っていいのか分からなかった。

(……それで、佐々原依子は私に深くを問わなかったのか。)

あの後戻ってきた彼女に「項羽を連れ帰りたい」と切り出した時、彼女は「お友達が見つかって安心しました」と一言述べただけだった。閑静な住宅地に裏社会に通じた医者が暮らしているのも驚きだし、何よりこんな近い距離で項羽が生きていたという事実が驚きだった。

「何だお前ら、こんなところにいたのか。」
「!」

突然小次郎の声がして、私達は振り返った。

「早く来いよ、皆もう集まって大騒ぎだぜ。」
「ああ、すぐ行く。」

竜魔が微笑した。

「やはり大した人気だな。オレと小次郎が聖地から帰ってきてもここまで歓迎してもらえなかったぞ。」
「……」

無言の私を振り返り、竜魔は気遣うように言った。

「案ずるな、項羽の記憶はすぐに戻る。うちには精神治療の専門家がいるからな。」
「別に心配している訳ではないが、夢魔に任せるのか。」
「自分の足でここまで戻ってこられたのだから身体に問題はないだろう。記憶も社会生活を営む分には支障がないようだ。」
「いわゆる全生活史健忘……記憶喪失、か。それなら夢魔の範疇だな。」

私は竜魔と共に、宴会場となっている道場へ向かった。足を踏み入れると項羽が板間の上で兄弟達に取り囲まれていた。皆が入れ替わり立ち代わり話し掛ける中、小龍だけがひと時も彼の傍を離れずくっついている。兄の生還ではしゃいでいる姿が何とも微笑ましい。

「項羽、」

紙コップとジュースのボトルを手にし、彼の前へと進み出た。

「まずは、お疲れ様。」

それだけ言って私はジュースを彼に渡した。項羽は戸惑うように私を見上げ、ただ細い声で「有難う」と答えた。