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第7章 消えた封印

翌朝、土曜日。午前十時頃に蔵馬のアパートを訪ねてきたのは凍矢だった。

『何でオレ一人で行かなければならないんだ!!』
『バカ、邪魔しないようにって心配り、何で分からないんだ?』
『アホかっ!!』

そんなやり取りの結果、結局彼一人が手土産(勿論鈴木達が気を利かせた品である)持参で蔵馬のアパートを訪問することになったのだった。

「いらっしゃい。久しぶり、どうしたの?」
「ああ、昨日事件があってな。」
「事件? ゆっくり聞かせてもらおうか。入って。」

出迎えた蔵馬は、アイボリーの無地のカットソーに黒い綿ベロアのジャージパンツという至ってラフな服装だった。凍矢が彼女に手土産の箱を差し出した。

「これ、陣と鈴木が。」
「『ポルト』のケーキ? すごい、美味しいって大学で評判なんだよ。早速開けるから待ってて。」

蔵馬の顔が明るくなり、凍矢は深層意識の底で二人の悪友に感謝した。台所へと一旦引っ込んだ蔵馬はすぐに紅茶のカップと皿に乗った二人分のケーキと共に戻ってきた。

「じゃあ頂きます。……わ、評判通りだね! すっごく美味しいケーキだ。」
「そうか。それはよかった。」
「有難う。二人にも伝えておいてよ。そうそう、今回は特訓に付き合えなくて御免。トーナメントそろそろだよね?」
「ああ。パトロールの合間を縫って少しずつ特訓してるところさ。」
「もうオレじゃかなわないね。ま、妖気封印したからどのみちだけど。」

その言葉に凍矢の表情が少し動いた。蔵馬が紅茶をすすりながら切り出した。

「そうだ、事件って何の話?」
「実は昨日、渋谷駅前を巡回中に空から人間が降ってきてな。」
「人が降ってきた?」
「ああ。ビルから転落したのかと思ったが上に何もない場所で、誰かに拉致され落とされたような感じだ。あと、霊力がギリギリまで消耗されていた。」
「霊力が? 誰かに吸い取られたのかな。」
「『吸い取られた』? それは、考えつかなかった。」
「空を飛べて、他人から霊力を吸収するといったら夢魔だけど……」

そこまで言いかけて蔵馬は首を振った。

「いや、いくら夢魔でも空中では“しない”か。」

蔵馬の言葉の意味を凍矢は分からなかったようだった。

「落ちてきた男ってどんなヤツ?」
「若い男だ。落ちてきた時は意識も霊力のほとんども失っていた。名前も聞いたな。確か、鈴井とか言ったような……」
「鈴井?」

蔵馬が驚いて聞き返した。

「もしかして鈴井、清春!? 妖怪みたいな顔した男。」
「そんな名前だ。知り合いなのか?」
「大学の先輩だ。昨夜はオレや幽助達と一緒にいたのに、帰った後かな。」
「本人の言い分では、寝ていたはずなのに服は着替えてるし靴は履いているしでどうもおかしいということだったが。」
「それは、注目すべき点だね。」

蔵馬は小首をかしげだ。

「彼が空中にいたのは誰か他人のせいかもしれないけど、その第三者が着替えまでさせる必要はないだろう。つまり、本人が無意識にやったことだと考えた方が自然だ。」

この推論に凍矢は目を見張った。

「でも、何故?」
「そこまでは知らないよ。夢遊病でも持ってるのかもね。」

蔵馬は少し紅茶をすすり、ぼそっと呟いた。
と、その時急にけたたましい電子音が部屋に響き渡った。

「何?」
「済まん、パトロールの呼び出しだ!」
「え、凍矢!」

ぽかんとする蔵馬を前に、凍矢は部屋を飛び出し玄関から走り去ってしまった。

(しまった!)

重要な用事を忘れていたことに気づき、蔵馬は思わず口を手で押さえた。そう、魔界パトロール隊が何故、自分を監視しているのかを問い質さねばならなかったのに。

「急に集合をかけて済まない。」

凍矢が蔵馬のアパートを飛び出して三十分後。日比谷公園の一角に、九名のS級妖怪が集合していた。輪の中心の黄泉を筆頭に、息子の修羅、飛影、酎、鈴駒、陣、凍矢、鈴木、死々若丸……いずれも、第一回魔界統一トーナメントで決勝トーナメントに進みつつも敗者となり、現在は魔界パトロール隊として人間界と魔界の治安のために勤務している面々である。

「今日集まってもらったのは他でもない、例の件についてだ。」
「何か進展があったのか?」

鈴木の言葉に黄泉は頷いた。

「先程、渋谷・新宿ブロックの妖気探知計が“例の物”を捉えた。」
「何だって!?」

一同がその言葉でざわめいた。

「それで、何か事件があったのか?」
「今のところは特にないようだ。しかも感知したのはほんの一瞬、盗人はまた行方を眩ましてしまった。」

飛影が苛立った様子で呟いた。

「チッ、厄介な話だぜ。邪眼で見えないのに妖気計が先に関知するようではオレは用無しだな。」
「ひがむな飛影、お前にはまだ働いてもらわねばならん。“あれ”を使うためには“器”が必要だ。それを見つけられるのはお前しかいない。」
「器?」
「そうだ。」

鈴駒の問いに黄泉が頷いた。

「“器”、すなわち空の肉体、魂の器だ。盗まれた物は魂から切り離された、いわば魂の一部。それだけでは如何に優れた妖術師でも何もすることは出来ない。」
「だが黄泉、それを言うなら魂の一部と肉体だけでも何も出来んだろう。使いこなすには魂を補完する術が必要だ。」
「そちらの面から魔界待機組に調査を頼んである。高等妖術師は魔界でも少ないからこちらのアプローチの方が早いかも知れんな。」

黄泉の言葉に、一同がしばらく沈黙した。飛影がうんざりしたように呟いた。

「フン、ぞろぞろ動いたところで何の解決にもならないなら、オレはこの件から手を引かせてもらう。」
「それは許さん。お前は軀から無理矢理借りてきている身だからな。」

軀の名が出た途端、飛影は黙り込んでしまった。黄泉はメンバーのまとまりのなさに疲れ溜め息をついた。険悪な雰囲気を変えるように、陣が口を開いた。

「やっぱ、蔵馬を入れた方が早く解決しね?」
「何だって!?」

皆が驚いて陣を振り返った。が、修羅が同調した。

「ボクもそう思ってた。パパだけじゃ頼りないよ。」
「なっ!」

黄泉の動揺ぶりに、一同は吹き出しそうになったのを何とか我慢した。修羅は小生意気な口ぶりで話し続けた。

「ボクは蔵馬って生意気で好きじゃないけどさ、確かに頭いいもん。パパがアイツに余計な心配させたくないってのも分かるけど、そのせいでこんなに手間取ってるんじゃボクらだっていい迷惑だよ。トーナメントも近いのに特訓も出来ないしさ。」
「オレは反対だ。蔵馬は妖力も封印し、魔界とはもう縁を切っている。それをオレ達が不甲斐ないからと言って引き戻していいのか?」

凍矢が珍しくはっきりと自分から意見を主張した。死々若丸が首を振った。

「いや、蔵馬はまだ魔界と縁を切った訳じゃない。本当に縁を切りたいのなら妖狐の力を“封印”じゃなく“抹殺”するはずだからな。万一の機会に備えて保険を掛けるというのはつまり、妖怪であることを捨てられないのさ。」
「オレも同意見だ。蔵馬のことは蔵馬に片付けさせるべきだ。」

飛影の言葉で一同の間に緊張が走った。酎が慌ててたしなめた。

「オイ飛影、事件の中身に関してその名を口に出すのは御法度だぞっ!」
「いい加減にしろ。オレはコソコソ隠れて何かするのは性に合わん。」

黄泉はしばらく考え込んでいたが、諦めたように溜め息をついた。

「……そうだな、相手の出方が分からない以上、蔵馬本人に正直に話した方がいいかも知れんな。」

飛影がようやく頷いた。そして、低い声で呟いた。

「“妖狐蔵馬の封印”が、盗まれたことをな。」
「……」

しばらくの沈黙の後、黄泉が一同を見(?)渡しながら切り出した。

「仕方ない、蔵馬には後でオレが話しに行こう。」
「え? おい凍矢、ライバルがあんなこと言ってるけどいいのか?」
「出し抜かれるぞ?」
「何の話だっ!!」

早速ツッコんだ鈴木と陣に凍矢は真っ赤になって叫んだ。黄泉は余裕の微笑を浮かべ、彼らを振り返って尋ねた。

「それよりパトロールで何か変わったことはなかったか?」
「昨日渋谷で墜落してきた男がいたけど……」

鈴木が代表して手短に昨夜の件を話した。凍矢が付け加えた。

「その男、蔵馬の知り合いだったぞ。同じ大学に通っているそうだ。」
「本当か!? まさか今回の件と何かの関係が!」
「そうかぁ? でも確かに、ちょっと人間離れした美形だったけどな。」
「蔵馬が好きそうなタイプだったなぁ。」
「む……」

陣の茶々に凍矢が反応した。一見無表情を装う黄泉も、内心穏やかではない様子だった。

「蔵馬といえば、オレにも報告がある。」

飛影が言った。

「鴉が蔵馬の近辺に出没している。既にヤツと接触しているかもしれん。」
「鴉!? えっ、あの野郎生きていたのか!?」
「鴉ってまさか、あの戸愚呂チームの“変態”!?」

武術会の参加メンバーがざわめいた。

「そういや、霊界のコエンマも蔵馬に接触しているという噂は本当か?」
「ああ。オレも見たぜ。真っ赤なフェラーリは目立ちまくるからな。」
「アイツは一体何をしに人間界に来てるんだ。」
「勿論、蔵馬がお気に入りだからだろ。」
「それだけじゃなさそうだぜ。最近あの男に厄介な仕事を頼まれた。」

飛影の言葉に一同が注目した。

「コエンマの奴がダイヤモンドの首飾りを探してほしいと言ってきた。詳しくは知らんが、蒼龍妃が身につけていた品で霊界の秘宝として宝物庫に眠っていたらしい。それがここ数十年の間に行方不明になったそうだ。」
「蒼龍妃? あの“魔界史一の悪女”って呼ばれてる伝説の女か?」
「それが蔵馬とどういう関係が……」
「知るか。ただ、コエンマが『蔵馬の周辺で見つかる可能性が高い』と言ったんだ。」
「!」

黄泉の顔に不意に緊張が走った。

「待て飛影、“蒼龍妃の首飾り”だと?」
「ああ。」
「……」

急に黙り込んでしまった黄泉を、一同は怪訝な顔で彼を見つめた。飛影が忌々しそうに呟いた。

「その件も、蔵馬本人には話さぬよう言われているがな。いや、本当は『誰にも話すな』と言われていたことだが。」

酎が頭を抱えて叫んだ。

「かーっ、確かに飛影じゃねえが面倒臭ぇ! 何で霊界の奴らがコソコソしてそんなことを!」
「確かに妙だな。高価な財宝だというだけでは霊界はそこまで探さんだろう。」

鈴木が酎の言葉を受けて訝しんだ。飛影がそれに頷いた。

「前に霊界の宝物庫に押し入ったことがあるが、あそこの宝は皆“保管”というより“封印”に近い陳列だったぜ。蒼龍妃の首飾りにも何かあるんじゃないのか?」

飛影は話しながらちらりと黄泉を見た。黄泉は小さく首を振った。

「オレは知らん。」
「んじゃそれもついでに蔵馬に訊いてくれよ。」
「気が進まんな。」

陣の言葉に黄泉が溜め息混じりで応えた。

「オレの記憶に間違いがなければ、その首飾りは元々蔵馬が持っていた品だ。で、蔵馬にそれをやったのは、あいつの昔の男だからな。」
「何だって!!?」

場の全員が、“蔵馬の昔の男”という言葉に反応して叫んだ。

【第7章 完】