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第8章 暴走

Trrrrrrr…

先程から何度もけたたましく鳴っている携帯の着信を無視し、蔵馬は一人、渋谷の街を歩いていた。

(今日はお前の顔は見たくない。オレに用があるなら直接探して来い。お前の聴覚なら出来るだろ。)

心の中で電話の発信相手・黄泉を挑発しながらも、蔵馬は時々歩みを止め空の上を眺めた。凍矢の報告が気になって何となく渋谷に出てきたものの、半端な情報では全く昨日の出来事が掴めない。公園通りを抜け、まるで駅前の喧噪を避けるかのように蔵馬は歩き続けていた。

(この辺じゃないな。もう駅からは大分離れてるし。)

気がつけば、上の空だった蔵馬もはっきり「違う」と分かるほど全く景色が変わっていた。目の前に、青々とした木々が広がっている。いくら何でもぼんやりしすぎだと蔵馬は自身に苦笑した。

(ここ、代々木公園じゃないか。折角だし、散歩でもするか。)

何となく気の重い週末、一人で家にこもるよりも人の中に身を置いていたい気分だ。蔵馬は顔を上げ、肩に掛けたデニム製の小さなショルダーバッグを持ち直して整備された園内をゆっくり歩き始めた。

しばらく歩き、ふと蔵馬は、少し先の一角に大勢の客が集まっていることに気がついた。沢山の人間がいるのに彼らは皆一様に沈黙し、パフォーマンスの開始を今や遅しとじっと待っていた。その静けさの中、アコースティックギターの音色と囁くような男の歌声が流れ始めた。

「……朝も、夜も、君に逢いたい……濡れた髪をなぞる…… Rhapsody in you……」

わぁっと拍手と歓声が上がり、ギターの音色が一段高くなった。

(この声!)

蔵馬は小走りで駆け寄り、数十名の聴衆の肩越しに声の主を覗き込んだ。輪の中に座り、ギターを抱えて歌っていたのは思った通り、鈴井清春だった。今日の彼は細身のデニムに腕まくりをした長袖のTシャツ、幾つかのシルバーアクセサリーと至ってシンプルな服装だった。甘く切ない声で熱唱する彼に、誰もが魅了され立ち尽くしていた。そうしているうちにも人の輪が広がり、一曲終わった頃には百名を超えるような大きな輪になっていた。

「鈴井さぁんっ!!」
「清春〜!!」
「同じ名前だけど本物より大好き〜っっ!!」

歌が終わった途端、黄色い声で叫び始めた観客に蔵馬は驚き逆に縮こまってしまった。清春が立ち上がり、深々とお辞儀をした。

「こんにちは、鈴井清春です。集まって下さってどうも有難うございます。今日は久々にバラードで揃えますんで、お時間のある方は最後まで聴いていって下さい。」

清春は手短に挨拶し、再び座り込んでギターを構えた。どうやら代々木公園の常連なのだろう。彼も観客も、短い挨拶に不満を持つ者はいないようだった。

「では二曲目です。聴いて下さい。……」

ギターを掻き鳴らし、清春は更に切ない声を張り上げた。

「おい、すっげえ歌のうまいヤツがいるぞ!」
「聴いていこうよ、ね?」

カップルが足を止め、歌の世界の住人に加わった。公園の一角を優しい空気に染め上げていく声を聞きながら、蔵馬は遠い昔、自分の傍らで歌っていた黒鵺の姿を思い出していた。

──こんなに似てるのか──

黒鵺は気が向くとリュートを奏でながら歌を聴かせてくれた。こんな恵まれた才能を持ちながら何故盗賊になったのか訝しく思えるほど、演奏は間違いなく一流のものだった。そして、それを抜きにして蔵馬は彼の歌声が好きだった。彼が歌っている間だけは、普段憎まれ口ばかりの彼が自分に……自分だけに、愛の唄を捧げてくれるような気になれたから。

蔵馬は自然と目を伏せていた。

(本当に、黒鵺なのかもしれないな。君は……)

歌う唄も伴奏の楽器の音色も千年前とは違うけれど、高く低く自在に響く深みのある歌声だけは、当時好きだったあの声と全く同じ物に感じられた。

二曲目が終わり、周囲は再び歓声に包まれた。

「今日は皆さんに、告白したいことがあります。」

ギターを抱えたまま清春が、うつむき加減に観客に向かって切り出した。

「実はオレ……好きな人が出来たんです。」

途端に観客がどよめいた。そのざわめきを制止するように、清春は訥々と語り出した。

「……いや、本当に恋なのかよく分からないんですけど……知り合ってまだ少しだし……。」

女性客達がざわめく中、清春は静かに話し続けた。

「済みません、急に変な話して……。あまりに……自分でも戸惑ってるんです……もしかして一目惚れってこれなのかって……。いや、ホントは前から知ってる人なんですけど、初めて話をして何か運命を感じたっていうか……気のせいかもしれないけど、何故かそんな風に思って……」
「いいぞ清春!」

急に飛んできた声援に清春は最初驚いた顔をしたが、すぐに困ったような微笑で応えた。

「もう本当にヤバいんです。夢まで出てくるし……独りになった時、気づけばその人のことばかり考えてる。歌ってても勝手にその人に捧げてるようなつもりになってて、だけど勇気がなくて……昨日もその人に会ってるのに、今日ここで歌うから聴いてほしいって言えなかった……。」
「清春さん、頑張って!!」
「アタシ達がついてるから!!」

先程とは違う方向から更なる声援が送られた。清春は照れ臭そうに笑い、小さく頭を下げた。

「済みません、その人のこと考えてたら随分ベタな選曲になってしまったけど許して下さい。では三曲目……」

と、曲のタイトルを告げようとして顔を上げた清春は、オーディエンスの中に立っている蔵馬の姿に気がついた。

「……!」

途端、清春は急に言葉を飲み込んでしまった。観客達が異変に気づくと同時に、彼は慌てて立ち上がった。

「済みません、今日はもうこれで終わりにします! 本当にすいません!」
「ええっ!?」
「何で!?」

観客達のざわめきをよそに清春は大急ぎでギターを片付け、人ごみを掻き分け逃げるように去っていった。

「どうしちゃったの、鈴井さん?」

不思議そうな観客がどよめく中、蔵馬はそっと場を離れ清春の後を追い掛けた。

「どうしたの、衝撃の告白を残してもう終わり?」

背後から聞こえてきた声に、人影の少ないところまで小走りで逃げてきたばかりの清春は飛び上がった。恐る恐る振り返ると、案の定立っていたのは蔵馬だった。

「秀……」
「唄を歌ってるって話は聞いてたけど……すごいね、聴き惚れてしまった。」
「……有難う。」
「もっと聴きたかったのに……どうしたの。観客の中に“例の彼女”でもいた?」

その言葉に清春の顔が薄ら紅くなった。

「……君は、意地が悪い。」
「別にからかいに来たわけじゃないんだけど。」
「だったら尚更……犯罪的だ。」

ふいと横を向いた清春に、蔵馬は思わず笑ってしまった。清春がむっとした表情に変わった。

「何がおかしいんだよ。」
「いや……ゴメン、ちょっと思い出したことが。」
「?」

昔は手玉に取られ機嫌を損ねるのはいつも自分だった。でも、目の前の清春になら自分の方がはるかに優位に立っている……蔵馬にはその優越感が何となくおかしかった。

「……昨日、渋谷で災難に遭ったんだって? 君を助けたの、オレの友達なんだ。」
「えっ? ……あの三人、知り合いなの?」
「まあね。それで話が聞きたくて……でもまさか今日会えるなんて、色々君とは偶然が重なるね。」

清春の顔が再び紅くなった。

「よかったら現場検証したいんだけど。」
「現場検証? ……渋谷駅に?」
「違うよ、君の家。」
「えっ!?」

慌てふためく清春に、蔵馬は吹き出しそうになるのをやっとのことで堪えた。

「お邪魔します。」

緊張している清春を尻目に、蔵馬は彼の暮らしているアパートの一室に上がり込んだ。麻川駅から徒歩七分、築五年も経っていないであろう小綺麗な七階建てアパートの四階にその住まいはあった。

「あんまり、片づいてないんだけど……」

後ろで消え入りそうな清春の声が聞こえてくる。決して不潔な室内ではないが、所々に雑誌やら服やらが散乱し有効面積は何もない状態の三分の一まで激減していた。

「昨日何か変わったことは?」
「うん、ドアの鍵が閉まってて窓の鍵が開いてた。」
「やっぱり窓から出入りしたってことか。地上四階で窓から……ね。で、昨日はどうやって中に入ったの。」
「鍵持ってなかったから、窓から陣さんに運んでもらって。」
「それは災難だったね。」

蔵馬は窓に近寄った。

「いつも窓開けて寝てるの?」
「まさか! 不用心だし、そんな必要ないよ。」

エアコンもあるし、何よりまだ五月。決して寝苦しくはない。

「おかしいね……この窓、壊さずに外からは開けられないと思うんだけど。」
「でも、昨日は絶対締めてる。寝る前に下の道路がうるさくて一旦窓開けて覗いたんだ。その時に締めたこと確認してるし。」
「じゃあどっちかだね。君が何らかの方法で自分で外に出たか、または君が寝る前から誰かが部屋にいた。」
「エッ!?」

慌てて清春は室内を見回した。

「今見たって分かる訳ないだろ。」
「そっか。そうだよな……」

清春は落ち着かない様子でもう一度だけ部屋を見渡した。

「そうだゴメン、何か飲む? コーヒーと紅茶くらいしかないけど。」
「いいよ、お構いなく。」
「でも……あ、そうか。この状態じゃ座れないよね、ゴメン!」

部屋中に散らばる雑誌や洋服を慌てて片付け始めた清春を見て、蔵馬も一緒に本を拾い始めた。清春が慌てて止めに入った。

「ダメだって! 君はお客なんだから!」
「二人の方が片づくだろ。オレも早く座りたいし。あれ、この本は?」
「うわああぁ!! 見るなぁ〜っっ!!」

蔵馬から清春は、「この顔でこの本を買うのか」と言いたくなるような、恥ずかしい格好をさせられた女性を表紙にした雑誌を慌てて奪い取った。必死で笑いを堪える蔵馬を、清春はただ恨めしげに見つめていた。

「もーいいから君はそこに座ってろっっ!!」
「はいはい。ふっ、はははっ……」

何とか折り畳みテーブルを広げ、二人分のクッションを敷く空間を確保して、清春は台所へ向かった。大人しく腰を下ろしながらも蔵馬は抜け目なく室内を観察していた。本棚には男性物のファッション誌が不連続に並んでいた。恐らく自分が仕事をした号のみ取ってあるのだろう。部屋の隅には小さなコンポがあり、隣にCDが平積みにされていた。その枚数はせいぜい二十枚程度で、その少なさを蔵馬は意外に思った。

「お待たせ。」

清春がお盆を抱えて戻ってきた。

「どっちがいいか分からなかったからコーヒーと紅茶一杯ずつ入れてきたけど。」
「別にいいのに。そうだね、じゃあコーヒーお願い。」

紅茶は先程自分の家で飲んでいる。

「あの本棚の雑誌は君の出てるもの?」
「うん。あ、オレがモデルやってるの知ってるんだ。」
「友達が教えてくれて。」
「不真面目だから年に三回くらいしか出てないんだけどね。読者モデルの延長だし、あんまりそっちの仕事には興味なくて。」
「やっぱり歌手を目指してるの?」
「歌は趣味だよ。」
「あんなに上手いのに?」

蔵馬は意外な表情をした。清春は肩をすくめて笑った。

「やりたいことが他にあるんだ。今は無理だけど、オレ、本当は魔界に行きたいんだ。」
「魔界へ?」

怪訝な顔をした蔵馬に、清春は照れ臭そうに笑った。

「まだ人間が魔界に行く方法が見つかってないから難しいけど、魔界で遺跡発掘調査をしたいと思ってる。」
「遺跡発掘? 現時点じゃ人間が魔界に行くことも出来ないし、それに魔界の物価は途方もないよ。発掘のために土地を買い取るにも莫大な金がかかる。」
「現実主義だな、君は。」

清春は寂しそうな表情を浮かべた。

「それはオレも分かってるんだけどね。だから、『いい加減夢みたいなこと言ってないでちゃんと就職しろ』って親にも言われてるよ。」
「何で魔界で発掘やりたいの。」

蔵馬が清春の顔を覗き込むように見つめた。清春は飲みかけの紅茶を手にしたまま答えた。

「そりゃ吉村作治がエジプトで何してるんですかって質問と同じだよ。うーん、魔界に惹かれてるのかな。ここ数年で急に“魔界ブーム”が起きただろ、その時に『ああ、オレが求めてたのはこれだ』って思って。それまでは普通に就職しようかと思ってたけど。」
「まあ、研究機関の調査隊に入ればお金の心配はしなくていいけど、なら今から霊力鍛えた方がいいよ。霊力が上がれば魔界の障気にも耐えられるようになる。」
「実は、それが問題で。」

清春がふっと顔を曇らせた。

「同じことを鴉に言われて特訓に付き合ってもらったことがあるんだけど、どうもオレ、変な体質みたいでさ。その日のうちは上がるのに寝て起きると元に戻ってるんだ。『寝てる間に何に使ってるんだ』って呆れられてしまった。」
「何それ? 寝てる間は霊力回復の時間だから、増えることはあっても減ることはない筈なんだけど。」
「何が起きてるのか分からなくて鴉に見張っててもらったんだけど、その時は別段何もなかったみたいでさ。一週間くらい特訓と見張りを続けてもらって、その間は霊力が上がってたのに、鴉が来なくなった途端、急激に霊力が落ちた。」

蔵馬はすっかり考え込んでしまった。

「それ、もしかして昨日の事件とも関係があるんじゃないの。」
「そうかも。『霊力がギリギリまで失くなってる』って鈴木さんに言われたし。」

蔵馬は「鈴木さんって誰だ?」と戸惑い、すぐに「ああ、ピエロか」と思い直した。清春は空になったティーカップを置いて溜め息をついた。

「それに、実は昨日みたいなこと、三度目なんだ。」
「三度目!? 空から落ちてきたのが!?」
「違うよ。落ちたのは昨日が初めてだけど、起きたら知らない所にいたのが三度目。前は夜中入れないはずのビルの屋上にいて警察の世話になったこともあるくらい。」
「!」
「半年くらい前なんだけど、気味悪がられて当時の彼女に振られちゃって。それっきり……」

“フリー”をちらつかせる意図なのか、それとも彼女すら来ない散らかった部屋への言い訳か、清春はそう言って立ち上がった。

「コーヒー、もう一杯飲む?」
「ん、お願い。」

ほとんど機械的に返事をして、蔵馬はもう一度室内を見渡した。今度はすぐに戻ってきた清春が、彼女の観察に気がついた。

「多分何も見つからないよ。鴉にも見てもらったんだ。」
「違うよ。ただの好奇心。そこの雑誌見てもいい?」

確かにこれ以上の手がかりは見つかりそうにもない。蔵馬はこの件については棚上げすることに決め、本棚から雑誌を抜き出した。

「格好いいね! 綺麗めの服がよく似合ってる。」
「よく言われる。化粧もしてないし髪も染めてないのにビジュアル系だって。確かに白と黒ばっか着てるけどさ。」

蔵馬は別の号を手に取った。

「あ、これ何? 『鈴井清春がレクチャーするキャンパスライフ』だって!」
「うわ、ちょっと待て!! それすげー恥ずかしいからダメっっ!!」
「なになに、『四月十六日、昨日のコンパで隣に座ったコと付き合うことに』……?」
「やめろ〜!!」

清春が慌てて蔵馬から雑誌を取り上げようとした。が、蔵馬がそれをひらりとかわし、バランスを崩した彼は思いっ切り彼女に被さるように倒れ込んだ。

「!」
「わっ、御免!」

仰向けに倒れ込んだ蔵馬に清春が覆い被さって、まるで組み伏せたかのような形になっていた。慌てて身体を起こそうとした清春の手首を、蔵馬が急に握り締めた。動揺した清春に彼女は小さく首を振ってみせた。

「……秀……」

蔵馬は戸惑う清春の背中にそっと両の腕を回した。その仕草に、彼も引き寄せられるように強く蔵馬を抱き締めた。勢いに押されたまま、清春はやや強引に蔵馬の唇を求めた。彼女は抵抗しなかった……静かな室内に、二人が互いの唇を貪る音だけが聞こえた。

「……」
「……っ……」

視線がぶつかったのを合図に一旦離れた唇が再び触れた。清春は逃げるように顔を逸らした蔵馬を追い掛けるように口づけ、再びゆっくり舌を絡めた。薄いカットソーの上から清春の指が蔵馬の体のラインをゆっくりなぞり始めた。覚悟を決めたように蔵馬は瞼を閉じた。

……その時、静まり返った室内にけたたましいインターホンが鳴り響いた。

「!!」

夢から覚めたように二人は身体を離した。清春は名残惜しそうに身体を起こし、少し乱れた服を直しながら玄関に向かった。ドアを開け、彼は思わず声を上げた。

「あ……!」

玄関前に立っていたのは、鴉だった。

「どうしたの、まだ仕事中じゃ……」
「今日は客が少ないから店仕舞だ。女がいるのか?」

鴉が目ざとく一回り小さな靴を見つけた。

「秀だよ、南野さん。」
「南野? お前、いつの間に呼び捨てにする仲になったんだ?」

清春の顔が紅くなった。鴉は遠慮もなく室内に上がり込んだ。室内の蔵馬は既に、何事もなかったのように元の姿勢で座っていた。鴉の姿を認めた彼女はさっと立ち上がり、持ってきた鞄を掴んで清春を振り返った。

「じゃあオレ、そろそろ帰るから。」
「秀!」

そのまま蔵馬は部屋を飛び出していった。呆然と見送った鴉が、怪訝な顔で清春に尋ねた。

「何かあったのか?」
「別に、何も……」

清春はうつむいた。只ならぬ雰囲気に胡散臭そうな表情を向けながらも、鴉は散らばったままの雑誌を拾い上げた。乱雑になった雑誌の偶然開いたページに、ブランド物のニットを着こなす清春の写真があった。鴉の手が不意に止まった。

「清春、これ、本物のダイヤか?」

鴉の目を釘付けにしたのは一ページを丸ごとぶち抜いた、臙脂のローゲージニットの上に大粒の石のペンダントが煌めいている写真だった。石は太陽の光を浴びて七色の輝きを反射していた。強烈な存在感が、その石が決して硝子細工などでないことを雄弁に物語っていた。

「まさか。でも、確かによく出来てるよな。」
(違う、本物だ。時価三十億は下るまい。だが年代物だな。)

鴉の表情が険しくなった。比較的アップの写真で、カッティングがはっきりと分かる構図だった。蔵馬や黒鵺とは違い、鴉に盗賊としての鑑定眼はない。しかしその彼にも、この石の一種独特なカッティングが近代の流行でないことは明白だった。

(しかしこの石、何処かで見たような……)

その刹那、鴉の脳裏にある記憶がひらめいた。

「『モデル私物』とあるが、今この家にあるか?」
「ああ。でも大事なものだから、ちょっとだけな。」

清春はそう言いながらも、シルバーアクセサリーのコレクションと同じ陳列棚に置かれていたビロード貼りの小箱を手にし、中を空けて鴉に示した。

「ほら、こんなケースに入ってると本物っぽいだろ?」

鴉はすっかり言葉を失い、食い入るようにダイヤモンドを見つめていた。

(間違いない。霊界から紛失した、あのダイヤモンドだ。)

昨日、霊界図書館に侵入して調べてきたばかりだから間違いない。そのダイヤは紛れもなく“蒼龍妃の首飾り”に飾られていたダイヤモンドの一つだった。興奮を押し隠し、彼は様子を探るように尋ねた。

「一体何処で手に入れたんだ?」
「え、どっから話せばいいのかな……」

清春は急に困ったような表情になった。

「そういや今まで話したことなかったよな。実はオレ、両親の本当の子供じゃないんだ。」
「!」
「赤ん坊の時に駅の待合室に捨てられてたらしいんだけど、ペンダントはその時から持ってた物なんだって。」
「何だと?」

意外な告白に、鴉は身を乗り出した。

「その日たまたま、仕事で朝早く駅にいた男性がオレを見つけて養子にしてくれたんだ。その人が今のオレの父親。オレ身元が分かるものは全然持ってなくて、唯一あったのがそのペンダントなんだって。」
「……」
「本当の子供じゃないと聞かされた時、親父がそれを『お前の本当の親を知る手がかりだから絶対大事にしろ』って渡してくれたんだ。だから、そのペンダントが写真に写ってればいつか心当たりの人が見てくれるんじゃないかなって思ってさ。」

あまりに大きすぎて本物とは誰も思わなかったらしいダイヤモンドを、鴉はもう一度眺めた。

(そういえば、蔵馬はこのダイヤのことを知っているのか?)

後で蔵馬に確認せねばと思い、鴉はそこで自分が彼女の連絡先を知らないままであることに気がついた。彼女の電話番号を尋ねようとした鴉の腕に、清春が急にしがみついた。

「何だ。」
「今夜、暇? 付き合って。」

何故と問い掛けようとした鴉に、清春は黙ったまま弱く首を振ってみせた。

【第8章 完】