「鉄板を斬ってほしいって?」
「ああ。ただその、何が出てくるか分からないんだが。」
皆が寝静まった真夜中。私は総司を従え本陣までやって来た。あらかた骨組みは完成し、壁を塗ったり屋根を葺いたりする作業が近づいている。
「項羽が以前隠し部屋を作っていたんだ。今となっては当人含め誰も開けられなくてな。あいつの性格を考えると罠が仕掛けられている可能性もあって迂闊に手が出せない。」
「その中に、彼の記憶を取り戻す手掛かりが隠れているかもしれないと。」
「ああ。」
「それにしても何故、この捜索がお前の発案だってこと隠す必要があるんだ? どうして私が自主的に開けたことにしないといけないのかな。」
「別に。どういう心境の変化だと、いちいち訊かれるのが面倒だからだ。」
「それは私も興味があるね。昨日まで現状維持を主張していた人間が一体どういう風の吹き回しやら。」
総司の問いを黙殺し、私は建物の中へ侵入した。総司がくすりと笑った。
「お前さんみたいな子を世間じゃ“ツンデレ”って呼ぶんだよ。」
「なに?」
「何でもない。……うわ、これは壮観だな!」
柱を潜り抜け問題の部屋に辿り着いた途端、総司は笑い出した。ダイヤル式の鍵を懐中電灯で照らしながら、彼女は四方から様子を観察した。
「別に罠は仕込まれていないと思うが……まあ、番号を一つ一つ試すよりはこいつでバッサリやった方が早いな。」
彼女はそう言って、背中に担いでいた物々しい剣を手に取った。
「それは?」
「護剣・緋炎剣。伊達家が代々守ってきた伝家の宝刀さ。元来こんな物ぶった切るのに使うような代物じゃないんだがね。」
「何でお前の家には聖剣だの護剣だの、お宝がごろごろ転がってるんだ?」
「野暮なこと訊きなさんな。さ、見張りが回って来ないうちに片付けるぞ。下がってろ。」
私は骨組みの外へ下がり成り行きを見守った。総司が鞘から剣を抜いた。途端、眩い炎が闇を引き裂き燃え上がった。
「!! これが……火の護剣!?」
「そ。実は私もいまいち使いこなせてなくてさ、万一建物が灰になっても笑って許して。」
「エ!? そ、そういうことは先に言えっ!」
「静かに! 気が散る!!」
総司が剣を振り上げた。紅の炎が一筋の光となり、刃に沿って輝いた。
「はあっ!!」
ジュワッ……!!
振り下ろされた刃が触れた瞬間、切断面が赤く輝いた。総司が刀を鞘に納めた時には、鉄板に一辺二尺の四角形が口を開けていた。
「な……」
私は恐る恐る近づいた。くり抜かれた穴は鑢をかけたように滑らかな切り口をしている。確かに剣も大したものだが、流石は噂に聞く凄腕だ。
「ふぅ、何とか延焼は免れたな。……待って、冷めるまで触らない方がいい。」
総司が額の汗を拭った。私は切り口に触れぬよう注意を払いつつ、懐中電灯の光を室内へ向けて差し込んだ。
「何か見えるか?」
「いや、特には。普通すぎるというか……本当に、只の部屋だ。」
いささか拍子抜けして、私は再びぐるりと室内を照らした。壁一面に防音材と思しきものが貼られている。あの男はこんな物を一体何処から、いつの間に調達してきたのだろうか。
「……そろそろ大丈夫かな。入れるよ。」
総司の言葉に、私は穴から室内へ滑り込んだ。畳二畳ほどの狭い空間。何処から引き込んだのか換気設備や照明も設置されているが、電源を断たれていて全く機能しなかった。
「凄いなこれは、核シェルターか?」
総司が笑いながら、穴の外から内部を覗き込んだ。
「しかし、年頃の坊やの秘密基地だしエッチな本でも隠してあるかと思ったけど……」
「変わったものは見当たらないな。むしろ地上の部屋よりまともかもしれない。」
「それは?」
総司が指を差した。平積みの本の上にノートが置かれている。ページをめくると几帳面な文字で、火薬の調合法やら気候の予測法やら忍術の基礎がびっしり書き込まれていた。
「うわ、勉強家だなあの坊や!」
総司が感嘆の声を上げた。私も複雑な気分でノートを見つめた。ずっと憎たらしいほどの天才と思っていたが、やはり白鳥は人目に隠れて懸命に水を掻いていたらしい。
「でも、手掛かりは何もなさそうだ。」
「残念。嬉し恥ずかし秘密日記でもつけててくれれば有難かったのに。」
「意味が分からんっ。……ん?」
「何だこれは?」
私達は同時に、壁にぶら下がったある物に気づいた。
「『787』? 何の数だ?」
日めくりカレンダーの隣、小さな黒板に白墨で殴り書きされた「787」の文字。私と総司は顔を見合わせた。
†
「だああぁぁっ!! 何ちゅーことをしてくれたんスか姐さんっ!!」
翌朝。本陣にやってきて開口一番、兜丸が頭を抱えて叫んだ。
「しょうがないだろ、この部屋の中を捜索したかったんだから。」
「だからってコレはないでしょーが!!」
すっかり弱り切っている兜丸の横で犯人・総司は開き直って澄まし顔だ。護剣の破壊力はやはり只物ではなかった。辛うじて灰にはならずに済んだものの、昨日まで真っ白だった無垢材の柱は例の隠し部屋を中心にすっかり黒く煤けていた。
「いーじゃん別に、どうせ古い材木と混ぜて使ってるんだし。むしろ芯まで乾燥してあげたんだから感謝してくれよ。」
「ったく!!」
「相変わらずだなお前は。」
後ろで竜魔が苦笑している。その背後から麗羅が現れ、おずおずと私の前に進み出た。
「霧風さん、あの、済みませんでした!」
「なに?」
「本当は霧風さん、項羽さんのこと誰よりも真剣に心配してたんですよね。それをオレ、今まで全然分かってなくて……御免なさい!」
麗羅が深々と頭を下げた。はっとして私は総司を振り返った。
「お前っ……喋ったな!?」
「だって、余所者の私が単独犯扱いだと居心地悪いんだもの。大丈夫、『霧風はツンデレだから分かってやって』って言ったら皆納得してくれたよ☆」
「意味不明の説明をするなっ!」
兜丸と麗羅が深く頷いている。私は溜息と共に肩を落とした。竜魔が振り返った。
「それで総司、何か見つかったか?」
「いや、それが全然。」
パンドラの箱と思われていた空間は結局ただの書斎だった。私達はあの後クッションの詰め物の中まで漁ったが、手掛かりになりそうな物は見つからなかった。総司が例のノートをひらひらさせた。
「結局収穫はこいつと、後は黒板だな。」
「黒板?」
「謎の数字787。ちなみに部屋の鍵の番号でもないようだ。」
「そのノートは?」
「単なる学習帳だよ。陰でコツコツお勉強してたみたい。」
竜魔がノートを受け取り、中身を確認した。ページごとに書き込まれた日付が変わっている。内容は兵法から英単語まで雑多かつ多岐に渡っていたが、透かしたり裏返したりしても特に変わったものは見当たらなかった。
「ほら項羽、何か思い出すことない?」
小龍が項羽を連れてやって来た。項羽は穴から内部を覗きつつ、一種異様な空間に目を白黒させていた。
「…… あれ、」
ふと彼が何かに目を留めた。皆も近寄って中を覗き込んだ。例の黒板の隣にあった日めくりカレンダーが昨年十月の日付を指している。
「ああ。お前が記憶を失くす前、この里にいた最後の日だな。」
竜魔が答えた。
「前日に派遣先から戻ってきたんだが、直ちに小次郎の加勢に向かうようにと言われてオレ達と一緒に出発した。それきりお前は最近まで行方不明だったんだ。」
後ろで兜丸が笑い出した。
「項羽が日めくりカレンダーを律儀に使ってるなんて意外だな。オレなんか思い出した時に数日まとめてバリッ!だぜ。」
「違うでしょ? 兜丸さんは数日めくって、後は翌年丸ごとゴミ箱直行じゃないですか。」
麗羅がすかさず突っ込んだ。
「あ、お前そーいうこと言う!?」
「兜丸さんの部屋のカレンダーは可哀想ですよ。役に立つのは最初の5枚だけで、残りの360枚は日の目を見ることが出来ないんですから。」
「馬鹿言えお前、自分の誕生日くらいはちゃんとめくって悦に入るぜ!?」
「うわっ、さみしー人!」
「くぉら麗羅っっ!!」
騒がしい二人をよそに、項羽がするりと室内へ滑り込んだ。
「あ、項羽!」
そのまま彼は脇目も振らずにカレンダーに近寄り、壁から外して一枚ずつ中身を確認した。が、その表情は即座に落胆の色に変わった。
「……何か、書き込みでもあればと思ったんだけどな。」
「項羽は手帳持ってたからね。それに普通、日めくりカレンダーに予定書き込むことはないと思うよ。」
「あの男は普通ではなかったがな。」
思わずつぶやいてしまい、一同の視線が私に集中した。私は慌てて話を戻した。
「で、その手帳は今何処にあるんだ?」
「夜叉一族の白虎が持ってた。上着のポケットに入ってたんだ。それはとっくに項羽にも見せてる。」
カレンダーをポケットに突っ込み、項羽が中から這い出してきた。
「何だお前、そいつに随分こだわるな。」
「気になるんだ。何故かは分からないけど。」
「ほう、」
竜魔が微笑した。
「よく分からないが、初めてだな。お前が何かに反応するのは。」
「いい兆候かもね。」
総司も頷いた。兜丸が皆を見渡した。
「さぁて、それじゃあ希望の光が見えたところで本日の作業に掛かりますか。」
「おぅ!」
皆が各々の持ち場へと散っていった。現場には私と、項羽と小龍が残った。
「お前が、ここを開けようと提案してくれたんだって?」
小龍が私に話しかけた。
「思い付きを口にしただけさ。開けたのは総司だ。」
「でも、お陰で何かを思い出せそうな気がする。有難う。」
項羽が微笑んだ。私は少し戸惑い、小さく首を振った。
「それより小龍、よかったら私にも項羽の手帳を見せてくれないか。」
「いいけど、本当に事務的なことしか書かれてないぜ。」
「一応確認したい。皆には分からないよう符牒を仕込んでいるかもしれないから。」
「そうだな。そういうのはオレよりお前の方が得意そうだから、任せる。」
小龍が頷いた。項羽が顔を上げた。
「そろそろ夢魔のところ行ってくる。十時の約束なんだ。」
「うん、また昼に。」
小龍が答え、私を振り返った。
「手帳は昼休みに持ってくるよ。じゃあ後でな。」
そういって彼は小走りで持ち場へ戻っていった。残された私は一人、再び鉄の部屋を覗き込んだ。暗い室内に「787」の文字がぼんやり白く浮かんでいた。