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Found It 第8章 目覚め

夜。私は男達が雨避けしている寺屋を訪れていた。たまたま油の在庫が少なかったことが幸いし、火災は日が暮れる前に鎮火した。しかし室内は未だ重苦しい空気に包まれていた。

「項羽の傷は深くはない。しかし眠り続けたままだ。」

竜魔が腕組みしながら言った。

「火災に接して精神を損傷した可能性がある。そもそも火に巻かれた時、あいつの身体能力からして脱出できない筈はなかった。逃げられなかったのは周囲を炎に囲まれ、錯乱状態に陥った挙句に昏倒したからだろう。」
「もっとも、早くに意識を飛ばしたお陰で煙を吸わずに済んだようだがな。」

私と共に来た総司が言い添えた。竜魔はちらりと彼女を見て、それから一同を見渡した。

「とにかく今はそういう状況だ。それ以上は何も分からん。」
「今、どうしてるんだ?」

小次郎が不安げに尋ねた。

「夢魔がずっと付き添っている。意識を呼び戻せるか試してみると言っていたが……あまり期待はしない方がいい。」

しばらく沈黙が流れた。やがて、劉鵬が腰を上げた。それをきっかけに皆もめいめい動き出した。これ以上ただ集まっていても事態が変わらないことは明白だった。しかし小龍だけはその場に座り込んだままだった。と、総司が近寄り肩を叩いた。

「心配しなさんな。お兄ちゃんは別に死んだ訳じゃないんだからさ。」

小龍はようやく顔を上げ、小声で「有難う」とつぶやいた。彼が立ち上がり出て行くのを見送り、総司は私を振り返った。

「……酷いな、折角の美人が台無しだ。髪も随分短くなったじゃないか。」
「別に、これぐらい何でもないさ。」
「ったく風魔の男共は情けない。自分達は何もしないで女の子こんなボロボロにして。」

私は肩をすくめた。総司がくすりと笑った。

「さて、私はそろそろ行くとするよ。急の案件が入ったんでね。」
「! 帰るのか?」
「坊やは気懸りだが私にはこれ以上何も出来ないから。……彼、早く元に戻るといいな。」
「……」

小さく頷くと、総司は微笑して部屋を後にした。

 道場に戻り姉妹達に状況を説明した後、私は物置の中で例の手帳と向き合っていた。記憶どころか意識の回復すら危ぶまれる項羽の状態だが、何もせずじっとしていることは到底出来なかった。しかし、

(やはり、これ以上は何も……)

再度確かめても手帳には二つの数字以外、何の書き込みも残されていなかった。小龍に許可を得て、項羽が鉄の部屋から持ち出した日めくりカレンダーも借りてきた。しかし、残ったふた月半のページには一切の手掛かりが存在しなかった。しかし諦め切れず、私は双方の十二月の日付に再度目を凝らした。と、

「霧風、こんなところにいたの。」

扉が開き、凪が姿を現した。

「ちょっと手伝ってくれない? あんたが救出した項羽のアルバム、中身ずぶ濡れになったから乾かしてやろうと思ってさ。」

彼女の手に洗濯ロープと、アルバムから出した写真の束が握られていた。私は立ち上がり、彼女と共に写真を一枚一枚洗濯ばさみに吊るし始めた。項羽と小龍の成長記録が年代順に並び、私はそれを妙にくすぐったい気分で眺めた。

「あら何、そのカレンダー。」

凪がふと、あの日めくりに目を留めた。

「ああ、項羽の部屋にあったんだ。あいつはこれをカウントダウンに使っていたらしい。」
「そうなの? へーえ、項羽が日めくりなんて可愛いというか、何か意外。」
「兜丸もさっき同じことを言ってたよ。」

笑いながら答える。ふと、先程の彼と麗羅のやり取りが頭を過ぎった。

『兜丸さんの部屋のカレンダーは可哀想ですよ。役に立つのは最初の5枚だけで、残りの360枚は日の目を見ることが出来ないんですから。』
『馬鹿言えお前、自分の誕生日くらいはちゃんとめくって悦に入るぜ!?』
──!?──

私ははっと顔を上げた。

「もしかして……!」
「え、なに? どうしたの?」

きょとんとした凪を尻目に、私は吊るした写真を勢いよく振り返った。

──十二月──

二人が毎年、誕生日に撮っていた記念写真。幼少期を過ごした家、本陣の軒先、撮影場所は毎年違うものの画面には常に雪が写っている。来年の十二月、項羽と小龍は十八になる。

「……!」

瞬間、私は全てを悟った。脳裡にありありと去年の記憶が蘇った。緑に染まる木漏れ日、騒がしい蝉の声。私を見つめていたあの眼差し……

(まさか!?)

あの時、項羽は言っていた。「早く告白らないと間に合いそうもない」と。

──あいつ、まさか本気で?──
「糸が、繋がった……。」

大きく息を吐きながら、私は思わずつぶやいた。

「よく眠ってるぜ。まあ、ただ眠っているだけならいいがな。」

夢魔がそう言って、傍らに横たわる項羽を見遣った。

「本当に何から何まで厄介なヤツだ。よほど恐ろしかったのか、昏睡の中に閉じ籠ったままで全く精神支配を受け付けない。最悪の場合このまま一生眠り続けるかもしれん。」
「その前に、正気なのか。」
「さあ、手遅れかもな。」
「……」

私は項羽の顔を見つめた。夢魔も彼に視線を向けた。

「項羽が今後覚醒するのか、もし覚醒したとしてその瞬間何が起こるのか、それはオレには分からん。一つだけ言えるのは、こいつを目覚めさせることが出来るのはこいつ自身だけということだ。」

微かな寝息が続いている。夢魔が立ち上がった。

「そろそろ点滴を準備するか。長期戦になるかもしれないからな。」
「その前に、総帥に現状を報告してこい。後は私がやる。」
「なに? ……お前が?」

夢魔は一瞬目を丸くし、にやりと笑った。

「おやおや、項羽の天敵が一体どういう風の吹き回しだか。」

私は答えなかった。

「ふ……ん。それならじゃあ、頼んだぜ。」

夢魔は軽く手を振り出て行った。戸が閉まると同時に、私は項羽の枕元に腰を下ろした。額や頬は絆創膏だらけ、布団から覗く手には包帯が巻かれている。しかし重篤な火傷ではなさそうで安堵した。髪を焦がしてしまった分、私の方が見た目はよっぽど悲惨だ。

(本当に情けないヤツ。何も知らないで……気持ちよさそうに眠って。)

総司の言葉を思い出し、次第に笑いが込み上げてきた。私はそっと身を屈め、一段声を落として彼にささやきかけた。

「こら、いつになったら起きるつもりだ? 私、お前の秘密判ったぞ。」

勿論、項羽は応えなかった。それでも話を聞いてほしくて、私は彼の手を取った。一回り大きな手の平を、私は両の手でそっと包み込んだ。

「……待っていたんだろう? 来年の十二月、十八になる日を。私を嫁にして、三十になるまでに子供を十人。あまりに馬鹿らしくて取り合うことも出来なかったが、お前は本気だったんだな。」

眠る項羽に穏やかに語りかける。胸に切なく、満ち足りた想いが涌き上がっていた。ぼんやりと曖昧だった心が、言葉にする毎にくっきり形を成していくような気がした。

「項羽……私との約束は、お前にとってそんなに軽いものだったのか。恐怖で、嫌悪で心の奥に沈んで消えてしまうような、その程度のものだったのか。私ずっと待ってたのに、お前はいつまで焦らすつもりなんだ……?」

項羽の手は温かかった。手の平から規則正しい脈動が伝わってくる。彼は生きているのだ。たとえ心が壊れても、何一つ思い出せなくても、項羽は今ここにいる。

──私達の約束は、まだ生きている──

私は重ねた手に、そっと力を込めた。
と……

「!?」

その手を握り返され、私は飛び上がった。

「……こいつは夢ですかね…… あの霧風様が、オレの枕元に付きっきりだなんて……。」

項羽の目がゆっくり開いた。

「項羽!? お前っ……」
「ああ、全部解るよ。自分が誰でどんなヤツで、どんな女を好きだったかも。」
「!!……」

私は呆然と項羽を見つめた。悪戯っぽい微笑を浮かべ、彼は徐に上体を起こした。と、こちらを見るなり顔をしかめた。

「何だぁ? お前突然不細工になったな。頭はボサボサだしその巨大な絆創膏は一体何?」
「なっ……全部お前のせいだっ!!」
「エ? じゃあまさか、あれは現実だったのかな。」
「なに?」
「お前がオレを助けてくれたこと。」
「!」

項羽がくすりと笑った。

「ありがとな。あの時突然炎に巻かれて、狂ったみたいに泣き喚いてた。どんどん火が迫ってきてパニックになって、その先は全然覚えてない。ただ気づいた時、すぐ傍でお前の声が聞こえたんだ。」

項羽は顔を上げ、じっと私の目を覗き込んだ。

「……恐る恐る目を開けたら、そこにお前が立ってた。『何してるんだ、早く来い』って、膝をついてオレの手を掴んでくれた。手が繋がった瞬間、全部思い出したんだ。視界がぱあっと拓けて、胸がぎゅっと切なくなって、『ああオレ、この女のこと好きだったな』って……そう悟った瞬間、目が覚めた。」
「!……」

何か言おうとしたが、胸が一杯で声が出なかった。項羽が優しく微笑んだ。

「ただいま。……ずっと、会いたかった。」

彼はそっと、私の頬に手を伸ばした。指の先が肌に触れた。火傷に触れぬよう気遣いながら彼は、そのまま軽く私の顔を撫でた。

──私も、会いたかった──

万感の想いを込めて見つめ合う。項羽は私の頬を手の平で包み、そのまま首筋へと指を這わせた。

「あ……」
「しっ。」

悪戯っぽく目配せし、彼は私の首を後ろから抱き寄せた。

──項羽──

逆らう理由など何もなくて、私は自然と瞼を閉じ、彼へゆっくり顔を近づけた……
その時。

ガラッ

「項羽、まだ寝てる?」
「!!」

私達は慌てて身を離した。引き戸の隙間から小龍が顔を覗かせていた。

「項羽!? 起きたの!? 大丈夫!?」
「……タイミング、最悪っ。」
「エ?」

項羽が苦笑した。小龍はぽかんと私達を見つめた。火を噴いた顔を悟られぬよう、私はひたすらそっぽを向いていた。