「おはよう、みんな。」
「おぅ、おはよう霧風。」
朝食の後、私は今日も本陣の建設現場にやって来ていた。皆が住処を失った今、夜の避難所は男女で別の場所に分けられている。男達が寒空の下でテントを張る一方、女達は突貫工事で落成した道場の中で身を寄せ合って夜明かししている。私も夜警番の日以外は道場で寝泊りしている状態だ。
「霧風、知恵を貸してくれ。トラブル発生だ。」
兜丸が話しかけてきた。
「何かあったのか?」
「適当に建て始めたのが悪いんだが、地面の下にとんだ障害物が見つかってな。」
「項羽のヤツが勝手に隠し部屋作ってたんだよ。」
兜丸の横から小龍が口を挟んだ。
「項羽が?」
「部屋っつーか鉄の箱だな。小さい鉄板をちまちま溶接して、二畳くらいのデカい空間作ってやがった。」
「扉らしきものはあるんだけど、暗号式の鍵がついてて開けられそうもない。」
梁と柱だけの建物をくぐり、私は問題の小部屋を覗き込んだ。土の中に錆だらけの金属の壁が顔を覗かせている。これ見よがしに取り付けられた巨大なダイヤルは、迂闊に回したら罠でも作動しそうな雰囲気だ。
「別に、また埋め戻せばいいだろう。」
「いや、それは……」
小龍が口ごもった。立て続けに起こる事件に忙殺されていた彼も、暇が出来た最近はふとした折に項羽を思い出して顔を曇らせている。兄の存在の証拠を何とか残しておきたいという気持ちは分からなくもない。が、
「項羽の隠し部屋なんて不発弾も同然だ。埋め立てた方がよっぽど皆の為になる。念を入れてダイヤルはセメントで固めた方がいい。」
「またお前そういうことを……」
「流石霧風、死人にも手厳しい。」
「!」
笑い出した兜丸に突如、小龍が気色ばんだ。
「おい待てよ、死んだとは限らないだろ!?」
「……は?」
「オレは、項羽はいずれ帰ってくるから処分するのはまずいって言ってんだよ!」
「えっ?」
真顔の小龍に兜丸がぽかんと口を開けた。何か言おうとした彼を制し、私は小龍をなだめるように言った。
「ならば、基礎を少し動かして間取りを変えよう。この辺はまだ梁も渡してないしな。」
「エ!? おい霧風、」
「要するに、入口の上に基礎や柱が来なければいいんだろう? その代わりこの上の部屋は狭くなる。言い出したヤツの責任として、お前の部屋はそこに決定だ。」
兜丸はぽかんと私達を見比べた。小龍は顔を赤らめ、小さく頭を下げた。
「……ありがと、霧風。」
兜丸が溜息をついた。
「ったく、材木切直しだぜ。」
「どうせ素人の日曜大工だ。思うように進まなくて当然さ。」
私は涼しい顔で答えた。と、その時。
「霧風、ちょっと来てくれ。」
背後から竜魔の声がした。今日は朝から大人気だ。振り返ると彼の陰で風魔総帥が手招きしている。彼も華悪崇の刺客に深手を負わされ、ようやく床を出られるようになった今も杖が手放せない状況だ。
「何か御用ですか。」
駆け寄ると総帥は頷き、急に声を潜めた。
「火急の用件だ。他の皆には秘密で向かってほしい。」
「任務、ですか?」
「別に誰でもいいのが工事現場から男手を動かしたくなくてな。とは言え、罠の可能性を考えるとくノ一を使うのは躊躇われる。」
怪訝な顔の私を見て、竜魔が口を挟んだ。
「大した任務ではない。ある場所に行き、ある情報が事実かどうか確認してきてほしいんだ。」
「ある情報?」
「行けば分かる。それが真実ならばな。」
「なに?」
追求を阻むように総帥が再び口を開いた。
「とにかく、指示する場所に急いで向かってくれ。確認が取れ次第、お前の判断で最善の策を採って帰ってきてほしい。」
「?……」
「では頼んだぞ。」
それ以上彼は何も語らず、呆気に取られる私を置いて自分のテントへと引き返していった。
「おい何なんだ一体。そんなに口にしにくい情報なのか?」
早速竜魔に噛みつくと彼は小さく首を振った。
「そういう訳ではないが、他の連中に漏れて、しかも誤報だった場合に収拾が厄介だからだ。」
「何だか知らんが勿体ぶりすぎだ。まさか、例の女が絡んでいるんじゃないだろうな?」
「霧風!」
途端、竜魔の顔が赤くなった。
死紋の乱の直後、ひと月ほど前のこと。一人の女が突然、風魔の里を訪ねてきた。「訪ねてきた」というより「忍んできた」という方が的確だろう。竜魔に内密の用があったらしく、たまたま里の外れで二人きり語らうのを見かけた私以外は彼女の来訪自体知らないはずだ。勿論私はこの件について後から竜魔を問い詰めたのだが、
『あいつは同業者だっ。オレ達が情報交換していたことは誰にも言うなよ!』
と鬼の形相で口止めされてしまった。相手がいかつい男なら納得もするが妙齢の女となれば話は別だ。こんな山奥にふらりと来られる辺り「同業者」には違いないが、密談の内容が本当に「情報交換」だったかどうかは疑わしい。
「とにかく、行ってほしい場所はここだ。」
竜魔が地図を取り出した。何処かの街の一角に赤いペンで×印と「佐々原」なる名前が書き込まれている。
「ここにあるのは一般の住宅だ。一日張り込んでこの家の住人を確認してきてほしい。」
「素行調査か?」
「そこまでする必要はない。会えばすぐ目的は分かるはずだ。」
「だから何が目的なんだ。」
「行けば分かる。済まん、今はそれしか言えない。」
「何も分からなかった場合は?」
「その時はすぐ戻ってきて、そう報告してくれればいい。」
竜魔は地図を私に差し出し、建設中の倉庫へ去っていった。
「どうした、任務か?」
すかさず小龍が近づいてきて地図を覗き込んだ。秘密と言い渡されたものの、私自身何も聞かされていないため隠す気にもなれなかった。
†
身支度を整え山を降り、地図の示す場所へ辿り着いたのは夕方だった。
「桜が丘八丁目……この辺だな。」
市街地の外れにある住宅地。高台から見下ろす景色の中に、西日が輝く水平線が見える。山育ちの私には珍しい光景でつい足を止めて眺めてしまった。もうすぐ日が暮れる。一晩夜明かしして明日の午後までにはここを離れたいところだ。
(明るいうちに標的を確認しておくか。)
私は早速、電柱や表札を頼りに目的の場所を探し始めた。しかし複雑に入り組んだ路地を辿るのは骨の折れる作業だ。しかもこの時間帯は飼い犬の散歩に出ている住民が多く、うろうろしている余所者はあからさまに不審人物だ。
(! ここか。)
目的の家をようやく発見し、私は安堵の息をついた。玄関脇、カントリー調の郵便受けに「佐々原絹雄」という名が確認できる。そのすぐ下には「依子」「パルフェ」という名前が続いている。依子は恐らく絹雄の妻、パルフェは犬か猫だろう。と、突然玄関の扉が開いた。
「買い物行ってくるわね。」
そう言いながら現れたのは中年の女性だった。私は電柱の傍に足を止め、懐から携帯電話を取り出して電話をかけるふりを始めた。こうすれば立ち聞きを怪しまれないと凪に教わったテクニックだ。もっとも電波など届くはずもない風魔の里、この携帯電話がモックアップであるのは言うまでもない。
「じゃあ今夜は湯豆腐にしましょうか。どうせあの人帰ってこないし簡単に済ませましょ。他には? あ、パルフェの御飯ね! 忘れてた。」
(なに?)
怪訝に思い、私は視線の端で女性の様子を覗った。彼女は佐々原依子に違いない。しかし家の中にいるのは絹雄ではないようだ。表札に名前のない住人がいるのだろうか。それとも独立した息子か娘でも帰省しているのだろうか。
「悪いけどお花の水遣りお願いできる? じゃあ行ってきます。」
そのまま依子は車に乗り込み、私の来た方向へと走り去った。明るい茶色の髪をした五十前後の女性。中肉中背で人の良さそうな丸顔……外見的特徴を記憶に刻み込み、私は再び家の中へ視線を移した。会話の相手は何者だろう。花に水を遣るのなら程なく顔を出すに違いない。とは言え流石に長電話の演技が辛くなり、私は何処ぞにメールを打つ真似を始めた。
ギィ……
思った通り、二分と立たぬうちに再び扉が開いた。すかさず注意を向けた私は次の瞬間、我が目を疑った。
「小龍……!?」
──どうして──
何故今、小龍がここにいるのだろう。彼は今頃、風魔の里の工事現場で汗を流しているはずではなかったか。
「!」
(まさか!?)
刹那、突飛な考えが頭を過ぎった。息苦しさを押し殺し、私は更に目を凝らした。ビニールホースを蛇口に繋ぎ、小龍に瓜二つの少年は肘までシャツの袖をまくった。
(……!!)
カシャーン!
模型が手から滑り落ち、アスファルトにぶつかって跳ね返った。少年の左腕を白い傷痕が斜めに横切り走っている。
──嘘だ──
痛烈な目眩を覚え、私は思わず電柱に手を添えた。見間違える筈もない……幼い頃に刀を合わせ、私が負わせた傷なのだから。
「項羽……!!」
有らん限りの声で、私は叫んだ。歩いていた住民達が一斉に振り返った。少年も顔を上げ、驚いたように私の顔を見つめた。
「項羽!! 生きていたのか……!?」
人の目も忘れ、私は再び叫んだ。彼もまた目を見開き、呆然と私の顔を見つめていた。何か言おうと思いながら声が出てこなかった。
「……」
やがてホースを足元に置き、彼は私へと歩み寄った。
「項羽!」
何故か食い入るような眼差しを向け、彼は穏やかな声で私に問いかけた。
「オレを、知っているの。」
「な、なに?」
言葉の意味が分からず、私は怪訝な顔で彼を見つめた。金色の西日が顔に深い影を落としている。瞳が瞬きもせずに私を凝視している。その瞬間、
「!」
悪い想像が脳裏を掠めた。私は震える声で尋ねた。
「まさか、私が分からないのか……?」
「……御免。」
彼が、申し訳なさそうに頭を下げた。
†
「御苦労だったな。」
里に戻った私を竜魔が待っていた。本陣裏手から続く坂の上、建設中の倉庫の前。すっかり夜も更けていて私と彼以外周辺には誰もいなかった。
「どういうことだ、まさか項羽が生きていたなんて。」
私が口を開いた。
「オレも知ったのは昨日なんだ。しかも情報が曖昧で、お前に確認してもらうまでは半信半疑だった。」
竜魔はそう答え、ポケットから何かを取り出し私に示した。
「衛星電話?」
「ああ、ここでも通じると言われて預かっている。この前オレに会いに来ていた女、情報源はあいつだ。」
「!」
私は唖然として竜魔を見つめた。どうやら彼の主張通り、あの女は単なる“彼女”ではないようだ。
「彼女は何者だ?」
「何れの集団にも属さない、流れの傭兵だ。裏の事情にはオレ達忍以上によく通じている。だから、華悪崇の一件のようなキナ臭い情報が引っかかったら即座に回してもらう約束をしているんだ。」
「それで、今回はどういう電話がかかってきたんだ。」
「別に事件ではない。オレ達が夜叉と戦っている頃、あの女も別件で近くに張り込んでいたらしくてな。項羽を助けたのはあいつなんだ。」
「!」
私は思わず竜魔の顔を見た。
「周囲の状況と傷の具合から同業者だということはすぐ分かったらしい。しかし素人が手当てできる怪我でもなく、懇意の病院に運び込んだのだそうだ。ところが項羽は自分のことを何も覚えていなかった。それで仕方なく、退院後も医者の家で世話になっていたようだ。」
「その医者が佐々原か。」
「当然ずっとそのままにも出来ないからと、あの女が昨日になってオレに照会してきたんだ。年の頃十五、六。身長六尺弱、左前腕に古い刀傷あり。優男で羽根を扱う忍を知らないか。心当たりがなくても風魔の里で預かってもらえないか、とな。」
私は何を言っていいのか分からなかった。
(……それで、佐々原依子は私に深くを問わなかったのか。)
あの後戻ってきた彼女に「項羽を連れ帰りたい」と切り出した時、彼女は「お友達が見つかって安心しました」と一言述べただけだった。閑静な住宅地に裏社会に通じた医者が暮らしているのも驚きだし、何よりこんな近い距離で項羽が生きていたという事実が驚きだった。
「何だお前ら、こんなところにいたのか。」
「!」
突然小次郎の声がして、私達は振り返った。
「早く来いよ、皆もう集まって大騒ぎだぜ。」
「ああ、すぐ行く。」
竜魔が微笑した。
「やはり大した人気だな。オレと小次郎が聖地から帰ってきてもここまで歓迎してもらえなかったぞ。」
「……」
無言の私を振り返り、竜魔は気遣うように言った。
「案ずるな、項羽の記憶はすぐに戻る。うちには精神治療の専門家がいるからな。」
「別に心配している訳ではないが、夢魔に任せるのか。」
「自分の足でここまで戻ってこられたのだから身体に問題はないだろう。記憶も社会生活を営む分には支障がないようだ。」
「いわゆる全生活史健忘……記憶喪失、か。それなら夢魔の範疇だな。」
私は竜魔と共に、宴会場となっている道場へ向かった。足を踏み入れると項羽が板間の上で兄弟達に取り囲まれていた。皆が入れ替わり立ち代わり話し掛ける中、小龍だけがひと時も彼の傍を離れずくっついている。兄の生還ではしゃいでいる姿が何とも微笑ましい。
「項羽、」
紙コップとジュースのボトルを手にし、彼の前へと進み出た。
「まずは、お疲れ様。」
それだけ言って私はジュースを彼に渡した。項羽は戸惑うように私を見上げ、ただ細い声で「有難う」と答えた。