長い冬が過ぎ、山間にもうっすら春の気配が漂い始めた四月の初め。風魔一族はこの半年、夜叉一族との一戦、華悪崇の侵攻に死紋の乱と息つく間もなく災厄に見舞われた。荒廃した故郷の復興のため全国に散っていた兄弟達が戻ってきて、風魔の里はここ数年なかった賑わいを見せていた。
「おーい、男共手を貸してくれ! この丸太運び出してほしいんだけど!」
「ちょっとぉ、あんた壁塗り下手すぎじゃない!?」
家屋の再建に勤しむ兄弟達の声が響いている。私も焦げを繕い終えたばかりの畳を担ぎ上げた。途端、
「こら霧風、お前はまだ無理するな。」
背後から竜魔にたしなめられてしまった。私はむっとして言い返した。
「別に、もう何ともない。心配性が度を過ぎると老けるのも早いぞ。」
「いいから大人しくしていろ! 傷口が開いたらどうするんだ。」
「そこをどけっ。」
畳を引ったくられそうになり、私は慌てて彼を押しのけた。
「霧風!」
「過保護だぜ竜魔。それに、体動かしてる方がリハビリになるんだからさ。」
振り返ると、両脇に角材を抱えた小龍がくすくす笑っていた。
「小龍! お前もまだ怪我が治って……」
「はいはい、危ないからどいた!」
「ったく、どいつもこいつもっ。」
渋い顔の竜魔を後にして、私と小龍は坂を上り建設現場へと赴いた。私達の住処でもある本陣の復旧が目下の懸案事項だ。
「おぉ済まんな二人とも。そこに置いといてくれ。」
釘を打っていた兜丸が顔を上げた。夜叉との一戦で刺客・飛鳥武蔵と対峙し死んだと思われていた彼だが、奇跡的に一命を取り留め風魔の里へ帰ってきた。
「あーっ兜丸さん! その梁、天地が逆ですよ!」
割り込んできたのは兜丸の従弟・麗羅。彼も既の所で命を拾った強運の持ち主だ。
「ぎゃあ、やり直しかよ! おい琳彪、釘抜きこっちにパス!」
「おうよ。そらっ!」
釘抜きが宙を飛んでいった。夜叉八将軍の白虎に深手を負わされた琳彪も、背中の傷が癒えて元通りの生活を送っている。
「畳は遠ざけといた方が良さそうだな。」
小龍が苦笑した。
「何か手伝うことはないか?」
「おう、向こうで劉鵬が柱の鉋がけしてるからそっちに行ってくれ。」
「分かった。」
辺りを見渡すとあちらこちらで同様の会話が交わされている。里は壊滅状態だが住人達は活気を取り戻し、以前の暮らしへ還ろうとしている。華悪崇のせいで忍の一族は何処も同様の状態。しばらくは大きな戦も起こらないだろう。
しかし、着実に時間は流れていて二度と元へは戻らない。櫛の歯が欠けるように、兄弟達の数は一人二人と減っている。
†
「あーぁ、生き返るぅ!」
夜も更けた里の外れ、露天風呂の一角。私の傍らで凪が気持ちよさそうに伸びをした。彼女は私より一つ年上で、主に女忍者で構成される諜報部隊のリーダーでもある。私と異なり戦闘訓練は受けていないものの、総帥からの信頼も厚い優秀な忍者だ。
「ほんと、労働の後のお風呂は格別。しかも今日は私達が最後だからゆっくりできるしね。」
相槌を打ったのはつららという名の少女。彼女は私から見て一年後輩だが、大きな目と丸顔が彼女を実年齢以上に幼く見せている。
「……しっかし霧風、あんたのその怪我本当ひどいね。また痕が残っちゃう。」
凪が振り返り、しげしげと私の真新しい傷を眺めた。
「これか? とっくに諦めてるよ。自分でやったものだしな。」
私は肩をすくめた。死紋の精神支配で自分の体を貫いてしまい、私は数日間生死の境を彷徨ったらしい。目覚めたらみんなが私を心配そうに覗き込んでいた。
「もう、折角綺麗な顔してるのにあんたってば全身傷だらけ。顔に傷がつく前に早く引退したら?」
「別に気にしてない。私は戦闘員だから怪我は仕方ないさ。」
「そう言うけどあんた、好きな男が出来ていざって時が来たら絶対後悔するよ!」
「いざって、どういう時だっ。」
「分かるっしょ! 男に真顔で『お前が欲しい』って迫られた時よっ。」
妙に力が籠もっている凪に、私は苦笑しながら首を振った。つららが無邪気に割り込んできた。
「でも本当に、霧風にはそういう人いないの? 本陣の男のコ皆カッコいいじゃん。」
「竜魔とかシビれるよねぇ。小龍はくノ一の中でダントツの人気だし。」
「あ、実はあたし兜丸好き! 一緒にいて楽しいもん。」
「麗羅や小次郎も将来有望の期待株だしさ!」
「……」
すっかり盛り上がっている二人を尻目に、私はそそくさと湯から出て髪を洗い始めた。凪が再び口を開いた。
「そうだつらら、家の中にまだお風呂がなかった頃覚えてる?」
「覚えてるよぉ。あたし七つになるまでここに来てたもん。まさか家が壊れてまた来ることになるとは思わなかったけど。」
「そう。私それで昔、ここで項羽にひどい悪戯仕掛けられたことあってさ。」
(!)
何気なく出て来た“項羽”の名前。私は思わず顔を上げた。
「私が入る直前にあいつがここに忍びこんでさ、蛙を放したの! こーんなでっかいヤツ! しかもお湯が熱かったせいで私が来たときその蛙、死んでたんだよね! プカーッと水面に浮いてるわけ!」
「えーっっ、最悪!!」
「冗談じゃなかったよホント。まぁあの後項羽のヤツ、総帥にこっぴどく叱られてやんの。ざまーみろって感じでさ。」
「きゃははははっ!」
二人の笑い声が夜空にこだまし、すぐに再び静かになった。
「……本当に、色々とんでもないヤツだったよね。」
凪がぽつりとつぶやいた。つららが頷いた。
「うん。でも、すっごく楽しいヤツだった。」
「まさか、こんなに早くいなくなるなんて思わなかった。」
二人の言葉がそれきり途切れ、私が黙々と湯をかぶる音だけが闇の中に響いた。
別段引きずるようなことではない。戦士として生まれた者が戦いの中で散るのは当然のこと。なのに何故、彼のいない日常は静かすぎて満たされないのだろう。