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第4章 蒼龍妃の首飾り

翌日。蔵馬は朝からずっと“心ここにあらず”の状態だった。担当教官の都合で急に二限が休講となり、彼女と友人二人は今、構内のカフェテラスで雑談に花を咲かせていた……はずなのだが……

「……というわけでさ、あれ? ねえ秀、聞いてる!?」
「……」

昨夜のことが頭から離れない。鴉の話は、蔵馬にとって無関係では済まされない事件を予感させていた。

「秀っっ!!」

友人の大きな声で、ようやく気がついた。

「あ、御免。」
「どうしたの? 何か心配事でもあるの?」
「……」
「顔色悪いよ。具合悪いの?」
「大丈夫。」

ポーカーフェイスが取り繕えない状態の自分に、蔵馬は小さく溜め息をついた。

「あのさ、」
「何?」
「文学部の三年生でさ、鈴井清春って人、知らない?」
「!」

蔵馬の問いに、二人の友人は顔を見合わせた。

「勿論知ってるわよぉ!! チョー有名人だもん!!」
「あのすっごい美形で“ビジュアル系”な先輩でしょう!?」

知らなかったのは自分だけか、と蔵馬は驚いた。

「どんな人?」
「超カッコいいよ! メチャクチャ歌がうまくって時々渋谷で歌ってるんだけど、スカウトが何人も来てるらしいの。」
「歌?」
「それに時々『メンズB』のモデルやってるよ! 190 センチあるらしいし脚もめちゃ長いし何たって顔がキレイだし!」
「……」

予期しなかった答えに蔵馬は怪訝な顔をした。『メンズB』とは今日本で一番売れている男性ファッション雑誌の名前である。

「で、何で彼のこと知りたいの?」
「ちょっと。」
「え、秀、まさかっ!!」

カッパーブラウンの髪の友人が声を高くした。

「まさか秀、今度は鈴井さんをターゲットに!?」
「は?」
「さっきからの上の空はまさか鈴井さんを想ってっ!?」
「何の話だよ!」
「何の話?」

隣から急に男の声がして、三人は振り返った。

「あ!」

三人を上から覗き込むようにして立っていたのは、噂の張本人・鈴井清春だった。

「鈴井さんっっ!!」

言葉を忘れた蔵馬の代わりに友人二人が同時に叫んだ。

「すごーい、学校一の美青年に声かけられちゃったよぉ!」
「こんな間近で鈴井さんを見られるなんて……」

今日の清春はブランド物の黒いロゴTシャツの上に真っ白なシャツを重ね、シルバー製のペンダントを三つ重ねづけした服装だった。そのアクセサリーが黒鵺のペンダントを思わせ、蔵馬の眼が少し遠くなった。

「おはよう南野さん。昨日はどうも。」
「こちらこそ。」
「昨日!?」

清春の挨拶に、早速二人の友人が食らいついた。

「知り合いなのっ!?」
「いや、昨日初めて会ったんだけど。」
「ちょっと秀!! 昨日ってアナタ、あたし達と一緒だったんじゃ?」
「まさかあの後に!?」

ガックリ来る……のが蔵馬のいつものパターンだが、今日の彼女は違っていた。清春の顔を食い入るように見つめ、一言一言を聞き漏らさぬように神経を集中させている。その真剣な様子に、黒髪の友人が茶髪の友人をつついた。

「ちょっと、“違う”よ!?」
「うん、何だかマジっぽくない!?」
「これは、」
「本命ですか!?」

二人の友人はひそひそと耳打ちし合い、事の成りゆきを好奇心旺盛に眺めていた。清春はそれに気づかぬ様子で話を続けた。

「南野さん、今夜空いてる?」
「えっ?」

月曜テストが、と言いかけてやめた。黄泉でも来るなら断る口実に使うところだが。

「まあ。」
「よかった! いや、実は鴉が昨日言ってた食事ご馳走してくれるって電話してきてさ。南野さんも誘いたいけど連絡先が分からないから探しておけって言われて。」
「鴉が?」

蔵馬は明らかに嬉しくなさそうな顔をした。

「からすって、何?」

黒髪の友人が秀をつついた。

「知り合い。」
「麻川駅前で占いやってる若いお兄さん、知ってる? “からすま・さとる”、だから“からす”。」

素気ない蔵馬の返事を清春が補足した。本当はその逆で「鴉だから烏丸」なのだが、清春はこの辺の事情も知った上でうまくかわしたようだ。そして、その返事にまたしても友人達は過敏な反応を示した。

「えええっ!? あの超絶美形占い師っっ!? あたしも占ってもらったことあるよ!」
「ちょっと、秀ってばあの人とも知り合いなのっっ!?」

もうどうでもよくなってきた……。清春がはたと気づいて心配そうな顔になった。

「あ、でも南野さん、ひょっとしてあいつと仲悪い?」
「いや、昨日まではそうだったけど、和解した。」

わだかまりが完全に消えたわけでもないが、真実を知った以上彼を邪険に扱うわけにはいかない。それに“例の事件”については結託した同志なのだ。……清春はそんな蔵馬の内心を知らず、単純に安堵した。

「よかったぁ。オレ今日はゼミだから夕方まで動けないんだけど、六時くらいでどうかな?」
「どこ?」
「迎えに行くよ。車出すから。例の公園でいい?」
「うん。」
「あ、ちょっと時間ずれ込むかもしれないから何かあったら電話するよ。よかったら番号教えて。」
「そうだね、えっと……」

素直に携帯電話の番号を教える蔵馬を、友人達は信じられないものを見るような目で眺めていた。

「すごーい、秀の電話番号って、多分学内で知ってんのあたし達と彼だけだよ。」
「あんなにガード甘いなんて、これはやっぱり……」

清春が教えられた番号を打ち込み、蔵馬の携帯に発信した。電子音が一回だけ鳴って切れた。蔵馬は着信履歴を確認した。

「それがオレの番号。よかったら登録しといて。また何かあったら使うかもしれないしさ。」

清春がウインクした。それを見て蔵馬は微笑した。

「じゃあ、また後で。」

去っていく清春を見送る蔵馬を、友人達はキラキラ瞳を輝かせ見つめていた。蔵馬が振り返りギョッとした。

「何!?」
「秀、おめでとう! とうとう春が来たのねっっ!!」
「悔しいけど秀になら似合うわっっ!!」
「は?」

思いっ切り声が裏返ってしまい、蔵馬は一つコホンと咳払いした。が、確かに入れ込んでいる自分を認めないわけにはいかない。清春の笑顔はあの黒鵺の笑い方よりはずっと毒気が少ないが、蔵馬にとって懐かしい人の面影をそのまま宿していることに変わりはなかった。

「別に、そんなんじゃないよ。」
「でも、彼ならホント秀にお似合いだと思うよ。背も秀より高いし、モデルとか何とかで出席日数が少ないくせに成績は学年ダントツのトップなんだって。」

蔵馬の身長は 170 センチを軽く超えているので平均身長の男では格好がつかないのだった。

「何か魔界史研究科のホープとか言われてるらしいよ。学部生なのにもう研究論文が出てるって噂だし。」
「魔界史研究科?」

魔界との交流が進み妖怪の存在が認知され始めてから、人間界でも二つの世界の相互理解を進めるための研究が始まった。この興譲大学でもつい昨年から文学部魔界史研究科を筆頭に、いくつかの新研究科が誕生したのである。

「何の研究してんの?」

魔界史なんて、自分だってここ千年のことなら研究するまでもなくよく知っている。

「よく知らないけど、この前何かの表彰受けて学内新聞に載ってたよ。」
「あー見た見た! 論文の表彰でしょ? “魔界史一の悪女”の研究をしている、とか書いてなかった?」

その途端、蔵馬の顔色が変わった。

「“蒼龍妃”……」
「それだ! 何で秀、そんなこと知ってるの!?」

蔵馬の表情は、友人達が驚くほど厳しく強張っていた。

「ゴメン、今日は先に帰るよ。」

午後からの授業を珍しく放棄し、蔵馬は大学を後にした。

「やっぱ何か変。
「夜に食事とか言ってたけど、大丈夫かな?」

友人達は顔を見合わせて心配そうに首をかしげた。

家に辿り着き、蔵馬はカバンを投げ出して一目散にベッドに向かった。どさっと倒れこむと、ベッドは鈍い音を立てて持ち主を包み込んだ。

「首飾り、蒼龍妃、黒鵺、そして鈴井清春……」

真っ白な天井をぼんやりと長めながら、昨夜の鴉の話に出てきた注目すべきキーワードを、蔵馬は一つずつ口に出して数え上げた。彼女の頭の中でもそれらの単語の繋がりはまだ緩く、はっきりとした形を成していなかった。

『何、これ?』

遠い記憶……そう、千年以上昔の、ずっと忘れていた出来事だった。

『すげー金剛石だろ? 一個で百カラットはあるんじゃないかな。』

繊細な細工を施されたプラチナの首飾りに飾られたダイヤモンドを指して楽しそうに語ったのは、当時の相棒・黒鵺だった。蔵馬は今、テーブルの上で黒のビロード生地に乗せられた数々の宝飾品に感心している最中だった。

『すごいな、さすがは魔界史一の悪女にして権力者・蒼龍妃のコレクションだ。それに、一万年前の品とは思えないほど状態がいい。』
『あんな昔にこれだけ見事な宝飾品を一人で揃えられるんだから、その権力も推して知るべしだよな。』
『それをこうやって蒐集してるお前もすごいよ。』
『そりゃあオレは魔界一蒼龍妃を愛してる男だから。』
『歴史オタク。』

冷ややかな蔵馬の言葉に黒鵺は少々ムッとした表情を見せたが、次の瞬間にはとっくに機嫌を直し、手にした首飾りをうっとり眺めていた。

『確かにこの首飾りもすげーけどさ、きっとこれを着けてた蒼龍妃はさぞかしいいオンナだったんだろうなぁ。』
『アホかお前、一万年前に死んだ女に欲情してどうするよ。大体、蒼龍妃って処刑見物が趣味とかいう加虐愛好者 <サディスト> だったんだろ。お前、ひょっとして“M”?』
『バーカ。蒼龍妃は“魔界史一の悪女”かつ“魔界史一の美女”なんだぜ。ああ、オレも伝説の美女に狂わされてみてーなぁ……。』

夢想(妄想だろうか?)に浸り切っている黒鵺に、蔵馬は面白くなさそうな視線を向けた。

『アホらしい。「女なんか食い物だ」が信条じゃなかったのか?』
『オレだって相手は選ぶぜ? やっぱ美人で“上手”な方がいい。』
『サイッテー。』

露骨な言葉に、蔵馬はあからさまな嫌悪の表情を浮かべ顔を背けた。と、不意に黒鵺が先程から手にしていた見事なダイヤの首飾りを掲げ、正面に立っている女の首に重ね合わせる仕草をした。そっぽを向いていた蔵馬が気づいて振り返った。

『何?』
『似合ってる。』

蔵馬が怪訝な顔をするのと同時に黒鵺は立ち上がり、首飾りを手にしたまま背後にやってきてそれを彼女の首に回した。

『何だよっ!』
『試着。』
『!』

首筋に黒鵺の指先とひんやりした金属の感触を覚え、蔵馬の背筋がゾクリとした。首飾りの下になった銀の髪の毛をすくい上げ、黒鵺は部屋の隅にある鏡を指差した。

『!……』

指された鏡を見た蔵馬は、鏡の中の自分と首飾りに釘付けになった。それは見事なコラボレーションだった……彼女の白いデコルテで大粒のダイヤモンドは目映いばかりの光彩を放ち、白金細工の座金とチェーンは銀の髪の毛に溶け込むように調和していた。首飾り自体がまるで彼女に合わせて誂えたかのようだった。

我を忘れて見とれる蔵馬の肩を、黒鵺がぽんと叩いた。

『いいよそれ、お前にやるよ。』
『えっ!? ……うわっ!』

蔵馬は驚いて黒鵺を振り返った。と、思わぬ至近距離に彼の顔があって、再び驚いた蔵馬は仰け反った。黒鵺はニヤニヤ笑っていた。

『何、オレの唇でも盗むつもりだった?』
『バカかっっ!! でも、これはお前のコレクションだろう?』
『オレじゃ使えねーし。これだけの品眠らせといたら勿体無いだろ。』
『でもオレだって、使う場所なんかない。』
『そりゃあこんなダイヤ日頃から見せびらかしてたら危ねーよ。お前の結婚式にでもとっとくんだな。』
『結婚式!?』
『おや、その調子じゃアクセサリーが揃っても相手がいないってか? ……いってえっっ!!』

蔵馬が思いっ切り黒鵺の足を踏んづけた。

『お前なぁ! こーいうの着けてる時ぐらい女らしくしてろよっ!!』
『一番女扱いしていないのはどこのどいつだっっ!!』

カチンと来て言い返した蔵馬の顎に、不意に黒鵺の手が伸びた。

『エ!?』

そのままくいっと顎を持ち上げ、黒鵺は蔵馬の顔をじっと見つめた。

『え、な、何?』
『お前が女だってこと、誰より理解 <わか> ってるつもりだけど?』

黒鵺に瞳を覗き込まれ、蔵馬の顔が見る見るうちに朱に染まった。黒鵺は少し屈み込み、ゆっくりと彼女に顔を近づけていった。

『あの、黒鵺っ!?』
『……』
(嘘っ……)

突然の成りゆきにどう振る舞えばいいのか分からず、思わず蔵馬はぎゅっと眼をつぶってしまった……と、

『もぅホント、可愛いなぁオ・マ・エ♪』
『っっっ……!!』

黒鵺は鼻と鼻が一センチの至近距離まで近づいたところでピタリと止まり、すっと手を引っ込めた。からかわれた……と蔵馬が気づくのに時間はかからなかった。ニヤニヤ笑いながら黒鵺は、蔵馬の渾身の右フックを綺麗にかわし背を向けた。

『お前さ、蒼龍妃ってどんな顔してたか知ってる?』
『知るかっ。』

今度は怒りで紅くなった蔵馬が機嫌悪そうに答えた。黒鵺は彼女に背中を見せたまま伸びをした。

『肖像画が残ってるわけでもないし、オレも勿論知らねーけど……』
『だったら何だ。』
『……』

腕を下ろした黒鵺は次の言葉を告げるのに少し間を置き、ふっと一息ついた。そしていつもと変わらない、意味ありげな笑顔で振り返った。

『蒼龍妃は、銀の髪をした妖狐だったそうだぜ。』
『!』

悪戯っぽくウインクして、黒鵺はそのまま自分の部屋へと消えていった……

「……」
「あ、起きた?」
「……黒鵺……? あ!」

しまった、と蔵馬……南野秀は口を押さえた。彼女の顔を覗き込んでいたのは黒鵺ではなく、顔は瓜二つだが翼も長い耳も持ち合わせていない人間・鈴井清春だった。考え事をしているうちに眠ってしまったのだろうか?

「!!」

事態の異常さに気づいた蔵馬は、いきなり跳ね起きベッドから飛び退いた。

「何でオレの部屋にいる!?」

薔薇を握る右手を背後に隠し、蔵馬は叫んだ。殺気むき出しの彼女に清春はビクッとし、すぐにばつが悪そうに頭を下げた。

「ゴメン、電話しても全然繋がらなくて。運良く君の友達とすれ違ったから家を教えてもらって来たんだけど、鍵が開いてたのに灯りが消えてたから、何かあったかと思って、つい。」
「……!」

確かに部屋は真っ暗だ。はっとして時計を見ると短針は既に七時を回っていた。

「ご、ゴメンっ!! 全然気づかなくて!」
「いや、オレの方こそ不法家宅侵入で、済みませんっ!」

そう言われると会ったばかりの女の家に上がり込むこの男、かなり図太い神経をしているに違いない。蔵馬はとりあえず部屋の電気をつけることにした。

「いつ来たの?」
「いや、今来たばっかり……寝てたから近づいたら、南野さん起きたんだ。」
「鴉は?」
「まだ仕事が混んでるみたい。帰宅時間の今が稼ぎ時だからって。」
「そう。」

蔵馬はやや殺風景な部屋の隅に置かれた机に寄り、鏡を覗きながら手櫛で髪の毛を整えた。とにかく一刻も早く動悸を鎮めたかった。昔ならこんな隙は絶対見せなかった。増して相手は只の人間だ。

そんな蔵馬を遠慮がちに待っていた清春が、口を開いた。

「南野さん、さっき“くろぬえ”って言ってたけど、」
「何それ、オレそんなこと言ってた?」

蔵馬は空とぼけた。説明するには自分の正体を明かすところから始めなければならない。が、清春は図星をついた。

「魔界の盗賊の名前?」
「え!?」

蔵馬は驚いて振り返った。

「あ、いや、研究テーマとの絡みで聞いたことあるなって。今オレ蒼龍妃っていう妖怪の研究してんだけど、その黒鵺って盗賊が蒼龍妃の財宝コレクターだったらしくて。」

妙な因縁だ、と蔵馬は思った。“蒼龍妃”、“首飾り”、“黒鵺”、そしてこの“鈴井清春”……キーワードはそれぞれが緩く結びつき不思議な距離を保っている。

──さっきの夢も、何かの一端なのかもしれない──

蔵馬は短い転寝の中で見た夢を思い出していた。それは夢ではあったが、千年前彼女が現実に経験している出来事だった。

「何だか南野さんって、正体不明だな。」

不意に、ぽつりと清春が呟いた。

──オレも、君の正体が分からないよ──

……心の中で、そう蔵馬は答えた。

【第4章 完】