感性の教官セイランは庭園を歩いていた。紫に近い光沢を帯びたコバルトブルーの髪の毛が鬱陶しげに白い顔へまとわりつくのも気にせず、彼はただ一つの関心事…今一番の悩みに思いを巡らせていた。
(あんなつもりじゃなかったんだ。)
溜め息をついて独り言を呟き、取り返せない言葉へ言い訳をしてみる。
『今度という今度はもう許せない!』
自分を責める、激しい言葉だった。
(過ぎた言葉であの人を怒らせてしまった。あの言葉は本気だろう。もう一週間も口を利いてない。)
『あの人』…セイランにとって特別な意味を持つ存在。出逢った日から鮮やかな碧い瞳で、自分の心を捕らえて離さない人。風の守護聖ランディに抱いた自分の感情に気付くのに時間はかからなかった。思慕の情なのに「恋」なんて言ったら生々しくて何か違う気がする。もっと精神的なものを求めているのだ。彼のように在りたい。あの強い光を放つ瞳で誰をも勇気づけてくれる彼のように…。
なのに、皮肉屋でひねくれた性格が災いしてランディに話しかける時はついつい喧嘩を売るような形になってしまう。関心を惹きたい一心のセイランを鈍いランディが理解するはずもなく、この二人は毎日のように派手な大喧嘩をやらかしてゼフェルを抜いて「聖地で仲の悪いコンビ・トップ3」の中にしっかり食い込んでいた(残りは勿論、ジュリアス&クラヴィスとオスカー&リュミエールである)。
(仕方ない、今回は僕から頭を下げよう。あの人だけには勝てないからね。)
「惚れた弱み」なんて言葉はプライドが絶対許さないけど、強情なランディは下手をすると女王試験が終わるまで口を利いてくれないかもしれない。思い立ったら即行動、意外と直情型の自分に少々驚きを感じながら、セイランは噴水の向こうにランディの姿を認めて脚を早めた。
「ランディ様!」
噴水から少し離れたベンチに腰をかけていたランディは背後からの「天敵」の声に飛び上がった。恐る恐る振り返ると宿敵セイランが何か言いたげに立っている。少々ためらいがちにセイランは口を開いた。
「あのさランディ様、この間のことなんだけど…」
そこまで口にしたセイランはランディの手元に、彼に全く似つかわしくない物体…小さな書物を目に留め、怪訝な顔をした。
「何読んでるの?」
「えっ!? い、いやっ! あのっ…」
セイランが次の言葉を挟む間もなく、ランディはタイトルを隠すように本を持って慌てて立ち上がると、セイランの方を振り返ることもなく猛ダッシュで駆け出した。
「ちょっと、ランディ様っ!?」
そそくさ小走りで消えていくランディを呆然と見送ったセイランは、決心を挫かれた苛立ちで思いっきり叫んだ。
「何なんだよっっ!!」
†
「詩集ですね、それは。」
くすくす笑ったのは水の守護聖リュミエール。暖かな陽射しを浴びた宮殿のテラスの下で、彼は炎の守護聖オスカーとティータイムを過ごしていた。一触即発の組み合わせのような気もするが、仲が良いのか悪いのか、この二人が一緒にいるのは結構よく見かける光景だ。
「詩集? あの人が何でそんなもの……」
「特別な詩集なんですよ。相互理解にどうしても必要なんだ…って。」
悪戯っぽい笑みを浮かべてリュミエールはオスカーに話しかけた。
「昨日はもっと大きな本を抱えてましたよね。」
「画集じゃないか?」
リュミエールは再度セイランを振り返り、彼の苛立ちをなだめるように微笑んだ。
「作品に触れれば考えを異にする人でも認めることが出来るかもしれない、と言っていましたよ。」
まだ気付かないのかと言わんばかりにオスカーが含み笑いで囁いた。
「著者はセイランって名前らしいぜ。」
「!!」
あまりに速く歩きすぎて、うっかりランディの傍を通り過ぎるところだった。逸る気持ちがどうしても歩みに表れてしまう。案外正直な自分に苦笑が漏れる。ランディは相変わらず例の小さな詩集を読んでいる。忍び足で背後から近づき、セイランはそれを取り上げた。
「せっ、セイランさんっ!!」
「書物というフィルタを通すより、面と向かって語り合う方が相互理解には有効だと思うけど?」
「……」
さーっと顔を赤くしたランディの隣に座りながらセイランは言葉を続けた。
「まずは互いの共通点を探すことから始めようか。好きなものとか教えてよ。いや…何でもいいよ、何か話そう。」
優しくなったセイランの言葉にランディは眼を丸くしたが、やがて表情を緩めた。
「それじゃあ……」
ホッとした顔で話題を選びつつゆっくり話し始めるランディを見つめ、セイランは微笑んでいた。恐らく彼自身も気付いていないだろう。その表情が他の誰に向けるものよりずっと優しかった。
(貴方と僕とは思想が違うから、時として激しく衝突したりもするけど、何でも話そう。壁を外そう。もっと貴方を知りたいんだからさ…)
この地で過ごす時間への期待に高鳴る鼓動を鎮めようとセイランは深呼吸をした。至高の碧…風の守護聖の瞳と同じ色をたたえて空は果てなく澄み渡っている。柔らかな風にも似た昼下がりの時間を、二人は穏やかな気持ちで楽しんでいた。