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第3章 夢

「盗賊だあぁぁっ!!」

石造りの地下通路に男達の怒声が反響した。大勢の兵が武器を手に、長い回廊の出口へ向けて血眼で走っていく。まるで彼等を導くように先頭を走るのは二つの人影……一人は長い黒髪を束ねた、背中に大きな翼を持つ少年。そしてもう一人は、薄暗い蝋燭の灯かりを一身に集める目映い銀髪の少女だった。

ドォォン!!

「うあっ!?」

集団の先にいた男達が、突如現れた禍々しい植物に驚き仰け反った。先頭集団の急停止に勢い余った後続がつまずき将棋倒しになった。何とか持ち堪えた兵が再び二人を追い掛けようとした瞬間、怪しい植物は突如、鋭い牙を剥いて襲い掛かってきた。

「わあぁ!?」
「ぎゃあぁぁっ……!!」

哀れ、頭から飲み込まれた仲間を助けようとオロオロしている兵士達を尻目に、高価な財宝を両手一杯に抱えた二人はくすくす笑いながら走り去っていった。

 数日後……たった今宮殿の衛兵が張り出していったお尋ね者の手配書に、行き交う街の人々が皆足を止めて驚嘆の声を上げていた。

「おい見ろよ、大ニュースだぜ!」
「あの蒼龍城が破られたらしいぞ!」
「信じらんねー! 黒鵺と蔵馬がコンビ組んだのかよ!?」
「奴ら敵同士じゃなかったのか!?」

人相書きに描かれていたのはあの黒髪の夢魔と銀髪の妖狐の二人組……懸賞首の情報を逐次貼り出すこの掲示板で、まだ新しいポスターは並み居る同業者を押しのけ一番の面積を陣取っていた。それこそこのデビューしたての盗賊コンビが途方もない“偉業”をやってのけた証しだった。

「これから金持ちは心配で夜も眠れないんじゃねーの? オレ達貧乏でよかったぁ。」
「二人合わせて懸賞金は三億か……目ン玉飛び出るような金額だな!」
「片方捕まえるだけでも一等地に家が建つぜ!」
「バーカ、黒鵺や蔵馬がオレ達にシッポ掴ませるわけないだろ?」

わいわい騒ぎ立てる群衆の背後、日用品の買い出しにやって来ていた噂の張本人・黒鵺と蔵馬が、彼らを遠巻きに眺めていた。両手に食料やら雑貨やらを抱える蔵馬は突然、隣の男に尻尾を握られ飛び上がった。

「何すんだよっ!」
「シッポ掴んでみた。」
「このセクハラ男っっっ!!」

蔵馬が尻尾で黒鵺の手を目一杯はたいた。恐ろしい形相の彼女にニヤニヤしながら黒鵺が言った。

「とうとう人相書きが出ちまったなぁ。これからはうかうか外歩けねーぜ。」
「でも、オレ達はここにいるのに全然気づかれてないよ。」
「オレはともかく銀髪の妖狐なんて珍しいのにな。」
「うーん……」

とその時、二人の耳にたった今群集に加わったばかりと思しき女達の嬌声が飛び込んできた。

「ちょっと!! ねぇこれが黒鵺と蔵馬!? まだ坊やだけどイケてなーい!?」
「抱かれたぁい!! アタシは断然、黒鵺派だなっ。」
「えぇっ!? 蔵馬の方が可愛いじゃん! 色々教えてあげたいわ~ぁ☆」

蔵馬はギョッとして思わず隣の相棒を振り返った。黒鵺は納得したように一つ、大きく頷いた。

「なーるほど、気づかれないわけだ。」
「オレは女だっっ!」

紅くなって叫んだ蔵馬の胸元に不躾な視線を注ぎつつ、黒鵺は相変わらずの口ぶりでコソッと呟いた。

「ホントホント、こんなでっかい乳つけてんのになぁ……いっっ、てえぇっ!!」
「下半身で喋るなっっっ!!」

蔵馬は全体重にスピードまで乗せ、黒鵺の足を粉砕にかかった。激痛に膝から崩れた相棒の首筋をむんずと掴み、蔵馬はそれをずるずる引き摺って歩き出した。

「ほら帰るぞっ!」
「うぅ……」

無観客のコントを繰り広げていた謎の二人組の存在にようやく気づいた野次馬は、困惑の表情で囁き合った。

「何か……黒鵺と蔵馬に似てない?」
「……まさか、な……」

 一ヶ月前、桂花殿で初めて二人が対峙した夜……黒鵺の隠れ家で開いた打ち上げの席で、蔵馬は話の成りゆきからそのままそこに居候することになってしまった。

『それじゃ、今夜の成果とコンビ結成を祝して!』
『乾杯!』

黒鵺が前の仕事でかっぱらってきたという酒で、二人はその夜の収獲と出逢いに感謝の杯を上げた。蔵馬は初めて口にする極上の葡萄酒に舌鼓を打ちながら、自然の洞窟を利用して建てられた住居の意外に広い室内をキョロキョロと見回していた。

『いいなー、綺麗で大っきな家。』
『定住の方が色々便利だからさ、まだあまり顔の売れてないうちに買ったんだ。表からは家だって分かりにくいし。あ、奥に風呂もあってさ、天然温泉なんだぜ。贅沢だろ?』
『すごーい、いいなぁ……。』

しきりに羨ましがる蔵馬に、何の気なしに黒鵺が尋ねた。

『お前はどこ住んでんの?』
『宿か野宿だよ。外でも草木で雨風はしのげるし。』
『えっ!?』

黒鵺の顔色が変わった。

『そりゃヤバいだろ! 宿はともかく、女が外で寝てたら襲われるぜ!?』
『全員返り討ちにしてやったけど。』
『やっぱり襲われてんじゃん! お前なぁ、犯されてから後悔したって遅いんだぞ!?』
『お前が言うなっっ!!』

先程、地下牢で腕を鷲掴みにして凄んでみせたのは一体誰だったろう。

『……うーん……でもやっぱマズいよな………… あ!!』

しばらく何かを考えていた黒鵺が急に身を乗り出した。

『そうだ蔵馬、お前もここ住めよ! 部屋空いてるし!』
『……エ?』

蔵馬の杯を持つ手が宙で止まった。

『だーいじょうぶ、安心しろって。オレは襲ったりしないから!』
『え? ……いやあの、そうじゃなくてっ……』

突然降って沸いた話に蔵馬は眼を白黒させた。黒鵺は彼女の返事も待たず、手にしていた杯をテーブルの端にどかし、部屋の隅の机から筆記具と藁半紙を運んできた。

『じゃ、早速共同生活の規則でも決めますか。』
『……』

願ってもない話だが、少々展開が早すぎやしないだろうか……すっかり面食らっている蔵馬はお構いなしに、黒鵺は木炭で黒々とした文字を書き始めた。

『じゃあ一、家事は共同。特に食事当番は交替で。』
『ちょ、ちょっと待って! あ、あの……洗濯は各自でいいだろ? 掃除も自分の部屋は自分で、ダメ?』
『そっか、お前女だもんな。見られちゃ困るものもあるか。』

黒鵺は肩をすくめながら「洗濯と個室の掃除は各自」と書き足した。几帳面で細身の綺麗な字に蔵馬は見とれていた。

『じゃ二つ目。いい?』
『う、うん。』

黒鵺は項目「一」の左隣に「二」を書き足した。

『お互いの部屋に入る時は合図 <ノック>。相手が不在の時は入らない。』
『……ま、基本かな。』
『では三、どうしても使われたくない、見られたくない持ち物は相手に知らせておく。』
『エ? ……意味がよく分かんないけど。』
『鍵かけて保管してもオレ達は盗賊だし、互いの信頼に基づくってことでいいだろ?』
『ああ、了解。』

もしかしたら黒鵺には誰にも見られたくない品があるのだろうか……相槌を打ちながらふと、蔵馬はそんなことを考えた。余白が足りなくなり、黒鵺は次の藁半紙に「四」と書き出した。

『じゃあその四、互いに許可なく他人を家に招かない。隠れ家が知られたら面倒だしな。』
『うん、分かった。』
『五つ目、単独外出は行き先を告げ、二十四時間以内に必ず帰ってくる。長期の外出は予め帰宅予定日を伝えること。』
『どういうこと?』
『出先で賞金稼ぎに襲われる可能性もあるだろ。お互い二十四時間以内に戻らなかったら死んだと思って諦める……いいな?』
『! ……』

動揺で僅かに蔵馬の顔が曇った。

『じゃあこの辺でいい? 後から増やすかもしれないけど。』

黒鵺は蔵馬の沈黙に気づかぬまま、書き出した五箇条の規則をピンで壁に貼り出した。最後のピンを刺し終えた彼は蔵馬を振り返り、思い出したように付け加えた。

『……そうだ、一つ頼みがあるんだけど……』
『なに?』
『隣町の七番街にあまり行かないでほしいんだ。ちょっと……色々あって。』

歯切れの悪い言葉に蔵馬が怪訝な顔をした。黒鵺はばつが悪そうに、右手の小指を立ててみせた。

『……実は、コレが。』
『!』

蔵馬の顔色が変わった。黒鵺は慌てて弁解した。

『あー誤解すんなよ! 恋人じゃないぜ! 女郎屋の娼婦 <プロ> なんだ。ほらオレ夢魔だし……月に二回、どうしても女抱かないと妖力が持たなくて。』

すっかり言葉を失った蔵馬に、黒鵺は追い討ちをかけるように“勘違いの”フォローを付け加えた。

『安心しろって、瀕死にでもならない限りは絶対にお前襲ったりしないから!』
『……』

……蔵馬は苦い顔のまま、自分の杯に葡萄酒を注ぎ一気に飲み干した。

「……おーい、いい加減に機嫌直せってば!」

隣を歩く黒鵺に声をかけられ、蔵馬ははっとして顔を上げた。

「もー、何でそんなに怒ってんだよ。」
「え? ……違う、そうじゃないっ。」
「じゃあどうしたんだ? すっげー怖い顔してたけど。」
「……別に。」

ぷいっと顔を背け、蔵馬はそれきりまた沈黙してしまった。黒鵺は困った顔をしながら彼女の後を控えめについて歩いた。……話の流れで仕事どころか住居まで共にすることになってひと月。蔵馬はそれまで全く知ることのなかった黒鵺の様々な顔を一度に見ることとなり、頭がパンクしそうなほどに混乱していた。

(ショックだったんだよっ、本当に。)

本人に悟られないように小さく溜め息をつく。カッコつけのキザということは初対面の時から知っていたが、実際に接した黒鵺は決して「カッコいい」だけとは限らなかった。

(ルーズだし、“オレ以外の”女に色目遣ってばっかだし、お調子者で歴史オタク……もう、最悪っ。)

共同生活のルールで第一項目に掲げた「家事は共同」を自らあっさりと破り、「月に二回」と言っていた女郎屋通いは「週に二回」の間違いの様子。どんなに真剣な話をしていても必ず冗句ではぐらかす。そして……二人が正式にコンビとしてデビューを飾った蒼龍城の戦利品は、この男が強硬に蒐集 <コレクション> を主張しているせいでほとんど現金化できそうにない。

(ったく何が「蒼龍妃様」だっ。アホらしい……。)

九千年以上前に魔界のほぼ全域を支配下に置き、悪政の限りを尽くしたという伝説の悪女・蒼龍妃。彼が七番街の娼婦に“食糧”以上の思い入れを持っていないことは無理矢理納得したが、代わりにもう何千年も昔に死んだ女に熱を上げていることはどうしても理解出来なかった。

(それに……もう一つ傷ついたことがあった。黒鵺は二年前、妖狐の里でオレに一度会っていることを全く覚えていなかったんだ。)

蔵馬はぐっと唇を噛んだ。……共同生活が落ち着き始めた頃、その件について黒鵺が何も言い出さないのを訝りそれとなく切り出すと、あろうことかこの無神経男は驚いたように大袈裟な瞬きを繰り返した。

『えっ、マジ!? 記憶ないんだけど。ひょっとしてお前、“今と違って”すげー可愛かったとか!?』

勿論その直後、哀れな黒鵺がどういう運命を辿ったかは語るまでもないだろう。

……些細な出来事一つ一つを思い起こし、蔵馬が深い失望の溜め息をついた、その時。

「ちょっと待って。」

背後の黒鵺が彼女を呼び止めた。振り返ると黒鵺は、足を止めて道端の露店に並んだ装飾品を品定めしている最中だった。

「へぇ、いい碧水晶だな。」
「お、兄さん目が高いね。昨日仕入れたばかりの石だよ。今買わないとすぐ売れちゃうよ。」
「いくら?」
「二万五千。」
「うあ、いいお値段だこと。」

肩をすくめながら黒鵺は品物を見比べていた。蔵馬も近寄ってきて品揃えを覗き込んだ。

「あ、いい石ばっかり!」
「おわっ、凄い美人だな! 兄さんのコレかい?」
「馬鹿、違うって。」

小指を立てながら冷やかした店主に黒鵺は笑って首を振った。宝石好きの蔵馬が色とりどりの石を嵌め込んだ装飾品に心奪われている隣で、黒鵺は一つの品に目を留めた。それは細かな文字や文様が刻まれた、護符のようなメダイユだった。

「……こいつは?」
「お守りさ。危険から人を護ってくれる。」
「ふーん。」

黒鵺は質問しておきながら全く信じていないといった顔で、冷やかすようにそのメダイユをつまみ上げた。と、蔵馬が振り返った。

「お守りかぁ、一つあってもいいかな。」
「……はぁ?」

黒鵺が途端に胡散臭そうな表情を向けた。蔵馬は顔を赤くした。

「いや……ほら、オレ達色々危ないことしてるし、いーだろ別に!?」
「何、じゃあオジさんそれ頂戴。」
「エ? いいよ、それくらい自分で……おい!」

黒鵺は素速く懐の財布を取り出し、蔵馬がぼんやりしているうちに支払いを済ませてしまった。受け取った護符を無造作に手渡す彼に、蔵馬は顔を赤くしたまま困ったように口ごもった。

「……そんな、わざわざお前が買ってくれなくても……」
「お前じゃなくてオレのため。組んだばかりの相棒に死なれたら困るし。だから持ってろ。」
「嬉しいけど悪いよ。それならオレからも何か買わせて。」
「要らねーよ、オレにはとっくにお守りあるから。」

黒鵺は笑って首を振った。彼の動きに合わせ、胸元で紅い石のペンダントが一瞬きらりと光った。蔵馬の視線が止まった。

「……あ……もしかして、それ?」

黒鵺がどんな状況でも絶対離さない、銀製の古いペンダント。以前「どうして」と尋ねた時は答えをはぐらかされてしまったけれど……

「おいお二人さん、」

突然、傍らで二人のやり取りを聞いていた店主が割り込んだ。浅黒い顔がやけに神妙で、振り返った蔵馬は何かゾッとするものを感じた。

「……兄さん、悪いけどその石は決していい物じゃない。富と名声を時間と引き換えにする……そんな石だ。」
「えっ……?」

不吉な言葉に蔵馬が目を見開いた。が……当の黒鵺は肩をすくめただけで聞き流し、「行くぞ」と彼女を促した。

「じゃあお疲れ!」
「お疲れさん! また三日後!」

郊外にそびえる丘の上。黒鵺は仲間達に別れを告げ、家路に就こうとしているところだった。今し方まで一緒にいたのは街の酒場で知り合った腕利きの男達。黒鵺を賞金首と知りながら気がおけない付き合いをしてくれる“修行仲間”だった。

(ってぇ……琢魔のヤツ、いつの間にあんなに腕上げたんだ? それに乃螺も前より動きが良くなってるし……オレも頑張らなきゃな。)

出来たばかりの痛々しい傷口に、蔵馬の薬箱からこっそり拝借してきた彼女お手製の軟膏を塗りつける。傷薬くらい頼めばすんなり分けてもらえるだろうが、意地でも彼女にこの傷を知られるわけにはいかない。

(何たって当座のライバルだからな。オレが陰で鍛えてんのは隠し通さないと。)

以前からも体が鈍らぬよう暇を見つけては行っていた鍛錬だが、蔵馬と暮らし始めてからはその回数が倍増した。実力の近い同い年の友人が出来、黒鵺の自尊心と競争心に火が点いた。たとえ半歩でも彼女の先を進んでいないと自分の気が済まない。

(蔵馬のヤツ、本気でオレが女のトコにいると信じてんだもんな。でもそろそろ別の言い訳考えねーと……あいつ鋭いし、何たって帰ってきて全然妖力増えてないわけで。)

妖力補給が必要なのは月に二回……と最初に断った通りなのだが、努力や苦労を周囲に悟られたくないという気取り屋の性分が彼に「女の所へ行ってくる」という嘘を思いつかせた。が、最近そう告げるたび蔵馬の眼差しが突如冷ややかになるのは、他の理由があることを悟られているためだろうか。

(……いやぁ、違うな。)

黒鵺は心の中で首を振った。

(蔵馬のヤツ、おカタいからなぁ。どーせオレのこと「不潔」とか思ってんだろうさ。)

不機嫌な顔の相棒を思い浮かべ、ふっと彼の口許が緩んだ。

(もしかしてまだ“処女”だったりして! それっぽいよなぁ。勿体ねーし、今度オレがツマミ食いしてやろうか? ……なーんて。)
「こらそこの不審者、何良からぬこと企んでいるんだ?」
「!!」

ニヤけ顔を誰かに見咎められ、黒鵺は驚いて飛び上がった。前から現れた人影を認め、彼の顔がぱっと輝いた。

「鴉……!」

……黒鵺の視線の先で笑っていたのは、背中にかかる細い黒髪と白い顔を持つ、繊細な美貌の青年だった。

「久しぶりだな、黒鵺。」

“鴉”と呼ばれた青年が微笑んだ。黒鵺は嬉しそうに駆け寄り、彼の手をぎゅっと握った。

「鴉っ! うわー三年ぶりじゃん!! 元気だった!?」
「ああ。お前がこの辺を荒らし回ってると聞いて待っていたんだ。」
「会いに来てくれたんだ……すっげー嬉しい!」

今にも飛びつかんばかりにはしゃぐ黒鵺の胸元で一瞬、紅い光が煌いた。鴉の目がペンダントの石の上で止まった。

「……その首飾り、まだ身につけているんだな。」

黒鵺の表情が俄かに曇った。彼は頭を掻きながら呟いた。

「ま、な。……当たり前だろ。」
「……」

鴉の眼にも一瞬、影が差した。

「たまにはあいつに顔見せてやれよ。生きている身内はお前しかいないのだから。」
「大丈夫、心配されなくても時々会いに行ってる。」

小さく頷き、黒鵺はそっとペンダントに触れた。歩いていくうちに二人は小さな酒場の前に辿り着いた。

「……鴉、一杯飲んでいこう。」
「何だお前、酒なんか嗜むようになったのか。」
「オレのこと幾つだと思ってんだよ? もうすぐ十九だぜ。」
「呑めるのか?」
「結構強いよ。勝負する?」
「私はそういう呑み方出来ないから。」

鴉は笑って首を振りつつ、黒鵺の対面に腰を下ろした。店員が新しい客に気づきテーブルまでやってきた。彼女に葡萄酒を運ばせ、旧友同士は互いの近況を報告し始めた。

「……オレさ、最近、大事なヤツが出来たんだ。」

後から話し始めた黒鵺が、少し嬉しそうに切り出した。

「オンナか?」
「いや、まあ女には違いないけど……そうじゃなくて“親友”。あ、“相棒”かな?」
「……もしかして、お前が新しく組んだ仲間のことか?」

鴉の言葉に、黒鵺の顔がぱっと明るくなった。

「知ってんだ!」
「勿論。街中で噂だからな。」

黒鵺が笑った。石細工の杯になみなみ注いだ葡萄酒を口にしながら、彼は鴉に新しい友人のことをさも嬉しそうに語り始めた。

「最高の相棒だぜホント! 頭は切れるし腕も立つし、何よりオレとピッタリ息が合うっていうか……オレの考えること何でもすぐ分かってくれるから一緒にいて気持ちがいいんだ。おまけに目の醒めるような美人でさ、性格は全っ然可愛くねーけど実はそんなトコもオレ好みだったりして。」
「やっぱり惚れてるんじゃないか。」
「違うって! あいつが男だろうが女だろうがオレ達は親友になってた。絶対!」
「……そうか。」

鴉は微笑混じりに肩をすくめた。黒鵺は畳み掛けるように新しい相棒の話を続けた。名を蔵馬ということ、銀髪と金の眼をした妖狐であること、あまりの美貌に彼自身、理性の危機を感じていること……休む間もなくまくし立てる彼の様子に、最初は興味深そうに耳を傾けていた鴉もとうとう呆れた声で遮った。

「……今止めなければ何時間でも喋っていそうだな、お前は。」
「えっ? ……あっ、ゴメンっっ!!」

黒鵺の顔がさっと紅くなった。動揺した彼に、鴉はくすくす笑いながら酒を注ぎ足してやった。

「まあいいさ、今夜は真実の愛を見つけたお前に乾杯だ。」
「やめてくれって! ベタ惚れてんのは認めるけど、男と女の関係じゃない。本気だからこそ、そういう関係にしたくないんだ。」

黒鵺は慌てて首を振った。自分の反応を面白がっている鴉を睨みながら、彼はムスッとした顔のまま注がれた酒に口を付けた。

(……むしろ、あいつが男だったらな……)

ふと、彼の脳裏にそんな考えが浮かんだ。

(男なら変な気を遣うこともないし、もっとお互い本音で付き合えるのに。性別が違うってだけでどうしても他人行儀さが拭えない。)

いつもの軽口も本当は蔵馬の顔色を窺いながらの発言だった。怒らせるのはいいが傷つけるのはまずい……まだ正直、その境界が掴み切れない。

(第一あいつ、オレにまだ心を開いてない。いつも何か言葉を飲み込んでる……証拠はないけど、そんな気がする。)

仕事の話では強硬なほどに意見を主張することもあるが、それ以外で蔵馬が熱っぽく何かを主張したり思い入れを語ったりしたことはこれまで一度もなかった。彼女は私生活については何も語らず、とりわけ恋愛の話題は顔をしかめて拒絶するそぶりを見せた。例えば自分が不在の間彼女がどのように過ごしているのか、それすら黒鵺には想像もつかなかった。男なら何の気なしに訊けることも女相手だとどうしても遠慮が先に立ってしまう。

(「親友になれる」……もしかして、そう思ったのはオレだけなのかな。)

そんな思考が頭を掠め、黒鵺はテーブルに視線を落とした。突然無口になった彼の異変にようやく気づき、鴉が声をかけた。

「どうした?」
「……あのさ、笑うなよ。男と女の間に“友情”って成り立つと思う?」
「何だって? ……それはお前達のことか?」

鴉はテーブルに頬杖をつきしばらく考えていたが、やがて胸元から一組のカードを取り出した。

「お、」

黒鵺が目を留めた。

「もしかして的中率九割九分を誇る、お得意の占い?」
「“占い”じゃない、“見える”んだ。それが混血 <ハーフ> の私の特殊能力。カードは直感を視覚化するための道具に過ぎない。」
「……よく分かんないけど。」
「そういうものだと納得しておけ。」

鴉は軽くカードを切り、円卓の上に上下二列各五枚、計十枚のカードを伏せて並べた。一枚一枚表に返し、現れた鮮やかな色彩の図柄に彼は突如、睫毛をしばたたいた。

「どうしたの?」
「! ……いや……」

答えながら鴉はぱたぱたと、何の説明もないままテーブルの上の札を手際よく片付け懐に戻した。

「ちょっと鴉?」
「黒鵺、お前が蔵馬を思う以上に彼女がお前を必要としている。彼女の手を離すなよ。」
「エ? ……あいつが?」

怪訝な顔をした黒鵺に、鴉は小さく頷いてみせた。

「でも、それは彼女ではなくお前の為だ。いつか彼女はお前にとって、自分の命より大事な存在になる。」
「! ……命より、大事な……!?」

黒鵺が繰り返した。期待の度を過ぎた答えに彼は困惑して呟いた。

「……何だよそれ……あんま、ピンと来ないけど……」

黒鵺が首を捻るのを見て鴉はふっと表情を緩めた。

「それより、早く帰った方が良さそうだぞ。彼女が待っているんだろう?」
「えっ? ……何でそんなことまで分かんの?」
「時計を見れば分かるさ。後は私が払っておくよ。」
「エ!? ……嘘、もうこんな時間!? やべぇ!」

背後の柱時計を振り返って黒鵺は飛び上がった。慌てて立ち上がり、彼は鴉に頭を下げた。

「御免、次はオレが奢るから!」
「期待してるよ。また会おう、しばらくこの辺にいるから。」

バタバタと飛び出していった黒鵺を軽く手を振って見送り、鴉はふ……と瞼を伏せた。

「……信じられないな、札の中にあれほど強い“絆”を見たのは初めてだ。」

並べた札に彼自身が驚いた。上の五枚が黒鵺を、下の五枚が蔵馬を表していた……両者は調和し合い結びつき合い、互いの存在によって自身の意味を強めるように揃っていた。……完璧な釣り合いだった。相互依存が強すぎて、相手なくしては自己の重みを支え切れないほどに…………

(面白い。黒鵺とあれほどまでに惹き合う存在……蔵馬とは、一体どんな女なんだ?)

鴉はうっすらと眼を開いた……その口許がいつの間にか微笑っていた。

「お帰り……一時間半遅刻。」
「っ……」

息を切らして飛び込んできた黒鵺を、蔵馬は醒めた口調で出迎えた。テーブルの上には彼女が準備した夕食が並び、同居人の遅い帰宅を待ち侘びていた。ばつが悪そうに目の前を横切った黒鵺に、蔵馬が突然顔を険しくした。

「……お前、酒の匂いがする。」
「え!? ……いや、実は、帰り道ダチに会って……」
「食べてきたの!?」

蔵馬が非難めいた声を上げた。黒鵺が慌てて首を振った。

「ちょっとつまんだだけだって! 酒もたったグラス二杯……」
「……」

蔵馬は溜め息をつきながら一旦引っ込めかけた皿を並べ直した。席に着き、二人は料理に向き合い始めた。気まずい沈黙が続いた。黒鵺はスープを口に運びながらちらりと蔵馬の様子を見た。と、彼は何処となく彼女の表情が暗いことに気づいた。

「……何かあったのか?」

蔵馬が顔を上げた。

「何って……何。」
「何かすげー機嫌悪そう。」
「別に……何もないよ。いつも通り。」

再び蔵馬は下を向いた。明らかに様子がおかしいけど、と黒鵺は顔をしかめた。……だが、言われてみれば彼女の顔が曇っているのは別段今夜に限ったことではない気がする。

(つーか……どんどん暗くなってるんだよな。ここに来たばかりの頃は元気だったのに、日に日に機嫌が悪くなってるというか…… あ!)

黙々と自分の料理を不味そうに食べる蔵馬を見ていて、黒鵺は突然理由に思い当たった。彼は彼女に、今まで一度も尋ねたことのなかったあの質問をぶつけてみた。

「……蔵馬、お前オレの留守中に何してんの?」

その問いに、蔵馬の顔が一瞬強張った。

「……別に、何もしてないけど。」
「どっか行ったりとか、ダチに会ったりとか……」
「この街に行くところもないし、友達もいない。」

つっけんどんに蔵馬が答えた。黒鵺は予想通りの答えに内心苦笑いした。

(ほらやっぱりな……そりゃあ様子もおかしくなるだろうさ。)

蔵馬が自分の前に現れた日のことを思うと少々信じがたいが、彼はこのひと月で、彼女が本当は人付き合いに消極的な性格であることに気づき始めていた。きっと新しい街でまだ友人も出来ず、一日中独りきり家に籠もっているに違いない。

(ったく、しょーがねえなぁ。)

とっておきの秘密だったがこの際仕方ない。黒鵺はコホンと一つ、咳払いした。

「あのさ、もし暇してんならだけど、」

蔵馬が顔を上げた。

「今度から一緒に身体動かさないか? 週に二回、ダチと一緒に鍛錬 <トレーニング> やってんだ。」
「えっ? 鍛錬?」

蔵馬が怪訝な顔をした。と、彼女ははたと悟って遮った。

「ちょっと待て、『週に二回』ってまさか、」

さすがに鋭い、と黒鵺は観念した。蔵馬が勢いよく身を乗り出した。

「お前、女のトコ行ってるって嘘だったの!?」
「嘘じゃねーよ! 月に二回はホントだし、修業仲間には女もいるしっ。」
「そういうのを屁理屈って言うんだよっっ。」

相棒をピシャリとやり込めながら、蔵馬の顔はすっかり晴れていた。彼女はテーブルに肘をつき、からかうように尋ねた。

「今日も本当は秘密の特訓だったってわけだ。何で隠してた?」
「別に、説明すんのが面倒だったから。」
「オレに内緒で強くなろうとしてたんだろ。この見栄っ張り。」
(うっ……)

何で分かるんだ、と黒鵺は冷や汗をかいた。蔵馬の眼が笑っている。どうやらこのひと月で、彼女の方もこちらの性格をしっかり把握してしまったようだ。

(かなわねーなぁ……)

思わず頭を掻いた彼に、蔵馬がふっと笑みをこぼした。

「黒鵺、」
「なに。」
「……ありがと。」

黒鵺が顔を上げた。蔵馬ははにかむように笑っていた。控えめだが、とても嬉しそうな笑顔だった。

「!」

その眩しさに思わず見とれてしまう。やっぱり笑った方がずっと美人だ、と黒鵺は思った。

(それに……強くなるならそれも一緒の方がいいよな。オレ達は“コンビ”なんだから。)

 二日後、夕暮れ時。蔵馬は一人、市街地の中心に立つ市場の中を歩いていた。夕飯となる予定の食料を両手に抱えた彼女は今、あからさまに機嫌が悪かった。

(黒鵺のヤツ、一体何処に行ったんだ!? 行き先も言わないで、今度こそ女の所じゃないだろうな?)

つい二時間ほど前、明日の予定である例の鍛錬の集まりについて詳しい話を聞こうとしたら、黒鵺の姿はなく代わりに居間の卓上、「出掛けてきます」とのみ記された置き手紙が乗っていた。勿論それを見つけた瞬間、蔵馬が壁に張り出してある共同生活のルールを読み返したことは言うまでもない。

(今度という今度はもう許さない! 晩飯どうなるか見てろよ、死なない程度に新種の毒草仕込んでやるから!)

物騒なことを念じつつ蔵馬は家を目指して早足で歩いた。……夕餉の支度をする匂いがあちこちの窓から漂い、まだ遊び足りない子供達が路地を走り回っている。そんなのどかな光景が心地よくて彼女の苛立ちは次第に薄らいでいった。

その時、道の向こうから歩いてきた人影に気づき、蔵馬は小さく声を上げた。

「あ……!」

それは黒鵺だった。どうせ囲った女の元だろうと思っていた彼が、まだそこそこ明るいうちに一人で外を歩いている。彼の右手には何故か、封を切っていない葡萄酒の瓶が握られていた。

「黒鵺! ちょっとお前、何処行って……」
(……えっ?)

黒鵺は蔵馬に全く気づかぬまま、左の路地へと曲がっていった。それは隠れ家とは正反対の方角だった。

「!」

何となく様子がおかしい。周りの景色に一切構わぬ様子で黒鵺は路地の奥へと早足で進んでいった。蔵馬は後を追うことにした。何かに気を取られている黒鵺は、相棒が後ろをつけて来ていることにも全く気づいていなかった。

しばらくして二人は家々の立ち並ぶ石畳の道を通り抜け、街の外れの古びた門まで辿り着いた。それはかつてこの街一帯が城砦だった頃の名残だった。黒鵺が門をくぐり抜け、蔵馬も密かに後へ続いた。かつての街の境から外へ踏み出し、蔵馬は息を飲んだ。

「……!……」

そこに在ったのは、市街の喧噪とは対照的な静寂の空間…………風にそよぐ草原の間に葉を茂らせた木々が点在し、絶壁となったその果ての更に奥に深く光る海が広がっていた。

(……知らなかった……近くにこんな場所があったなんて…………)

あまりに鮮烈な眺望に、蔵馬は一瞬自分が何故ここに来たのかを忘れた。魔界では稀な金の太陽が輝く場所。吹く風は柔らかく、青草の匂いが胸一杯に沁みるようだった。しかし黒鵺はこの美しい風景を慈しむ素振りも見せず、野原を横切り一心に崖を目指した。

(……!)

断崖の縁に立ち、黒鵺は眼下に広がる黒い海の水平線を眺めていた。長い髪が風に煽られ乱れるのも気にせず、彼は動くことを忘れたように静止していた。遠い眼差しがいつもの饒舌な彼とは違う知らない誰かのように思え、蔵馬はかける言葉を失った。

……凪と同時に黒鵺は陸へと視線を戻した。と、彼は目の前に立ち尽くしている相棒に気づき、あっと小さく声を上げた。

「……蔵馬……」

虚を突かれ、黒鵺は少し動揺していた。

「いたの、お前。」
「あっ……いや、たまたま……気づいたら海に出てて、お前がいたから……」
「……そう。」

黒鵺は蔵馬の咄嗟の嘘にほっとしたような顔をした。そのまま彼は、二人からすぐの位置に座している巨石へ目を向けた。軽い身のこなしでそれによじ登り、彼は突っ立ったままの相棒を手招いた。促されるまま蔵馬も岩に登り、彼の隣に腰を下ろし抱えていた荷物を脇に置いた。黒鵺がふと水平線を指した。蔵馬が視線を向けると、波の飛沫が沈みゆく陽の光を反射してきらきら瞬いていた。

「綺麗……」

思わず呟いた彼女に黒鵺は微笑して頷いた。二人は風に吹かれながらしばらく無言のまま、波が水面で砕ける様をぼんやりと眺めていた。それは自然ではあったが、何処となく居心地の悪い沈黙だった。

「…………」
(……何か、言わなきゃ……)

いつもと様子の異なる黒鵺に胸騒ぎがする。しかし、そうは思いながらも何をどう切り出せばいいのか。蔵馬は思考回路を総動員させて何とか話のきっかけを見つけようと努力した。

「……あの、」
「ん?」
「こんな所に……何しに来たの。」

散々考えた挙句、結局口に出来たのは一番直接的な質問だった。黒鵺は少し困ったような顔をした。

「……ちょっと、兄貴に会いに。」
「えっ!?」

蔵馬は驚き、慌てて辺りを見回した。

「お前の兄貴!? ……え、これから来るの?」
「そこだよ。」
「え? ……!!」

黒鵺が首を振り、崖に沿うように立っている青葉茂る大樹の陰に佇む石の塊を指した。それは風雨で浸蝕され傷んでいたが、明らかに人為的な構造物だった。……碑石の意味を汲み取り、蔵馬の顔色が変わった。

「……死んだの……!?」
「オレがガキの頃、とっくに。」

黒鵺は小さく首をすくめた。

「元々故里の墓場で眠ってたんだけど、家買った時こっちに連れてきた。景色もいいし、オレもここなら会いに来れるし。」
「……」
「オレのたった一人の家族だったしさ。逆に、兄貴も身内はオレしかいなかったから。」

そう言って黒鵺は淋しそうに笑った。涼しい風が野を吹き抜けていった。

「……どんな人だったの?」

しばらくして蔵馬が尋ねた。

「そうだな……一言で言えば“カッコよかった”かな。」

黒鵺が遠い目で答えた。

「見た目とかもそうだけど、それ以上に『兄貴しか出来ない』ってことが沢山あってさ。兄貴は妖術師だったんだ。いつもは薬局みたいな仕事してて、里のみんなに頼りにされてたよ。誰に対しても気さくで親切で、友達が一杯いて女にもモテまくってた。……兄貴のこと嫌いなヤツなんて、多分一人もいなかった。」
「……」

前半はともかく後半は黒鵺にも当てはまるような気がする……そう蔵馬は思った。もしかして彼は兄とそっくりなのかもしれない……と、彼女の顔が和んだ。

「……大好きだったんだ、兄貴のこと。」
「まーな。」
「いいな、オレはそれこそ生まれた時から家族なんていなかったし。」
「さあどうだか……少なくとも喪う辛さは知らずに済むぜ。」
「……」

黒鵺の口調が少し投げやりになり、蔵馬の顔が曇った。そして再び二人は沈黙した。しばらく二人の間にあったのは波と風の音だけだった。いたたまれなくなった蔵馬は視線の端で黒鵺の様子を伺った。彼の瞳に沈む西陽が映っていた。

「……蔵馬、」

先に口を開いたのは黒鵺だった。

「……前から訊きたかったんだけど、お前何で盗賊になったの。」
「えっ? ……」

突然話題を変えられ、蔵馬は瞬いた。それは何とも答えにくい問いだったが、再び沈黙に戻るのが嫌で彼女は仕方なく答えた。

「……別に、特に理由なんてないよっ。他人に勝手に人生決められたくなかった、それだけ。」

まさか「お前を追い掛けて」などと告白を始める訳にもいかない。曖昧にごまかしながら彼女はようやく、黒鵺が本当は自分の身の上話を始めたいのだということに気がついた。

「お前は……何か理由があるの?」

顔色を窺いながらそっと尋ねてみる。黒鵺は意図を汲んでもらったことを安堵するように微笑んで頷いた。

「……でも、元々盗賊やってたのは兄貴なんだ。」
「?……」

黒鵺は遠回りに話し始めた。それがじれったくて蔵馬は眉をしかめた。黒鵺は一つ息をついた。

「……オレや兄貴の育った場所は、夢魔の集落で……十年近く、ずっと他の種族の里と戦をしていた。オレが生まれた頃にはもう里はボロボロ、そりゃあ貧乏だった。それでとうとう、生きてくために里の男達で小さい盗賊団を作ったんだ。兄貴は中じゃ一番若かったけど、頭もいいし強いからって頭に推薦された。本人は乗り気じゃなくて本業の片手間だったらしいけど、才能があったんだろうな。あっという間に懸賞金が五億を超えた。」
「五億!?」
「すげーだろ? でも、結局それが兄貴の命取りになったんだ。」

黒鵺は小さく頭を振った。思い出すのさえ辛いという様子だった。

「……気づいたら兄貴の懸賞金が五億、その他の仲間が数千万から最高三億で、団員合わせて二十億近くになっていた。いくら盗賊団が頑張ってもそれだけ稼ぐのは結構大変だし、しかも周りの集落から『あの里は盗賊の溜まり場だ』とか言われて摩擦があったらしい。それで里の長老が決めたんだ。盗賊団を……自分達の仲間を売ろうって。」
「!」
「里長は外から刺客を雇い、団員を次々に殺った。寝込みを襲われてほとんどの連中が逃げ切れなかった。……兄貴も、その時殺された。」
「……!……」

蔵馬が目を見張った。黒鵺の瞳に暗い陰が差した。

「勿論、兄貴一人なら逃げられたと思う。でも、まだガキだったオレを守って兄貴は死んだ。オレにこれだけ渡して……『逃げろ』って、そう言い残して盾になったんだ。」

黒鵺が、胸に光るペンダントをそっとつまみ上げた。蔵馬は呆然とそれを見つめた。

(……いつも離さないペンダント……形見の品だったのか…………。)

銀の台座に埋もれた石が夕陽に透けて紅く輝くのを、黒鵺は虚ろな瞳で見つめていた。そっとそれを離し、彼は再び話し始めた。

「里を脱出したオレは、それからがむしゃらに修業した。強くなって、下手人と里長に復讐することばかり考えてた。だけど、数年後いざ仇討ちに戻ってオレは驚いた。……オレの故里は、失くなっていたんだ。」
「えっ……?」
「オレが逃げ出した後、疫病が流行って……貧乏な里じゃろくな治療も出来なくて、沢山の村人が死んだ。生き延びたヤツらも里を捨てるしかなかったんだ。」
「……」

黒鵺が一息入れ、蔵馬は言葉を失ったまま彼を見つめていた。

「それでも、兄貴達を売った金が残ってれば持ち堪えたと思うんだけどな……。流行り病にあの里長は我先に逃げ出して、金も持ち逃げしやがったのさ。オレは半年かけてあの野郎を探し出して、ようやく兄貴の……死んでいった仲間達の仇を討った。でも、復讐が済んでもオレの気は晴れなかった。オレにはもう帰る場所がないって、それが虚しかった。どうしてこうなってしまったんだろうって……悔しくて何日も何日もずっと、そんなことを考え続けた。その時思ったんだ。一杯金稼いでいつか故里を建て直すって。それには盗賊になるのが一番手っ取り早かった。だからオレは、わざわざ兄貴を死に追いやった職業を選んだんだ。」

黒鵺はそう言って沈黙した。蔵馬もまた何も言えなかった。軽口だらけの冗談めかした態度の裏で、素顔の彼はそんな過去を隠していたのか……と、彼女は胸の痛みを覚えた。黒鵺は海を眺めたまま、再び口を開いた。

「……でもな蔵馬、別に里の復興が目標じゃないんだ。兄貴が殺されたのも故里が潰れたのも、結局みんなが貧しかったからだ。贅沢できなくてもせめて、毎日の食い物に困らず暴力に怯えることのない暮らしがあればこんなことにはならなかった。」

蔵馬が顔を上げた。夕陽が黒鵺の横顔を金色に縁取っていた。

「魔界は弱肉強食の世界……力のある奴が自分の都合だけで弱者の命を喰い荒らし使い棄ててる世界だ。でも強い奴がその力を少し、弱い奴のために使うだけで世界は変わる。誰もが明日の心配をしなくて済む世界になる。だからオレ、自分の故里から足場固めていつかはそういう国を建てたいんだ。」
「…………」

蔵馬は黙り込んでしまった。目の前の男が抱えているものの大きさを知り、彼女は気の遠くなる思いがした。

(……お前のこと何も知らないで、オレは一体、何を考えていたんだろう……。)

黒鵺に憧れ、不自由な日々から逃げ出すために彼の後を追った自分。無我夢中だった……彼に追いつこうと懸命にこの三年を駆け抜けてきた。が、やっと肩を並べたと思った男は、まだまだ自分の遙か遠く先を走っているように感じられた。

(所詮オレは自分の都合で生きているだけ……“対等”なんて、思い上がるのはまだ早かった。)

自分が情けなく思え、蔵馬は思わず下を向いた。黒鵺は遠い水平線を見つめたまま独り言のように呟いた。

「……でもきっと、国を造るよりそれを守る方が難しいと思う。平和主義は一国だけで貫けるもんじゃない。周りの国も一緒になって初めて平和は実現する、オレはそう思ってる。」
「『周り』?」

はっとして、蔵馬は黒鵺を振り返った。

「お前、まさか魔界を全部支配すると……?」
「さすが、察しがいい。」
「……」

呆然とする蔵馬とは裏腹に、黒鵺は笑っていた。

「……でも、半分だけ正解。」
「えっ!?」
「もっとあるんだ。」

黒鵺が言った。そして彼は、やや血の気の引いた蔵馬の顔をじっと見つめた。

「……魔界の次は人間界だ。魔界と人間界を統一し、妖怪と人間が融和する世界を造る……それが、最終目標だ。」
「!!……」

……「一体、何を言っているんだ」……そう声に出しそうになり、蔵馬は慌てて口をつぐんだ。黒鵺の眼は真剣そのものだった……薄暗い夕暮れ時の草原で、彼の紫色の瞳が爛々と輝いていた。

「勿論、今のオレにそんな力なんかない。それ以前にどうやったらそこまで辿り着けるのかも分からない。何千年かかるかも分からないし、どれだけ敵を増やすかも分からない。つーか……三界に喧嘩売る覚悟決めてんだけど。」
「!」
「適当に“お仕事”やって一生面白おかしく暮らしていくのは簡単さ。だけどオレ、それは嫌なんだ。折角天職見つけたんだし、正しいと信じる道に進んでいきたい。一生自分にカッコつけて、無茶な理想に命張ってみたいんだ。そうじゃないと、オレのこと守って死んだ兄貴に胸張れない気がするから。」
「…………」

蔵馬の顔はいつの間にか強張っていた。それに気づき、黒鵺は困ったように笑った。

「……やっぱり、呆れるか。」

気丈に首を振ったものの、蔵馬はやはり何も言えなかった。黒鵺は風に乱れた前髪をかき上げた。

「お前だから話した……お前なら少なくとも、最後まで笑わずに聞いてくれるだろうって。でも解ってもらえるとは思ってない。正直言うと、もう少し黙ってるつもりだった。でも、早く話しておかなきゃって……本当は分かってた。御免な。」

そう言いつつ、黒鵺は小さく頭を下げた。蔵馬はぼんやり彼を見つめていた……何か言おうとして言葉の出てこない唇が震えていた。

「……蔵馬……」

……風が凪ぎ、波の音が止まった。

「……お前の盗賊稼業がお遊びなら、もうオレとは関わらない方がいい。縁切るなら今のうちだぜ。」
「!……」

蔵馬の顔が蒼ざめた。

再び強い風が吹き、草の波が野を次々と渡っていった。黒鵺は黙ったまま、深い闇の色に変わろうとしている海を眺めていた。蔵馬もまた言葉のないまま、隣の友人の横顔を見つめていた……長い沈黙が続いた。

……蔵馬はふと、黒鵺の表情が硬くなっていることに気づいた。何気なさを装いながら彼は今、自分の答えがどんなものでも受け止めようと覚悟を決めている。

(つまり……オレにも覚悟を決めろと……)

黒鵺の心を悟り、蔵馬は思わず目を閉じた。体が強張り胸は大きく波打っている。それを落ち着かせようと彼女は一つ大きく息を吸い込んだ。……蔵馬は瞼を開きつつ、ゆっくり口を開いた。

「……呆れた…………まさか、そこまで馬鹿とは思わなかった。」
「!……」

一瞬、黒鵺の顔が強張った。

「……」

小さく溜め息をつき、彼は立ち上がった。無言のまま地面に降り立ち、彼は蔵馬に背を向けたまま歩き出した。……と……

「こら最後まで聞け、この馬鹿っ!!」

突如、背中から罵られ黒鵺の足が止まった。

「……えっ……?」
「ああぁっ!! そんな無茶、一人でどうにかしようと思ってんのが馬鹿だと言ってんだよっ!」

叫びながらひらりと岩から飛び降り、蔵馬は呆気に取られた相棒の行く手に回り込んだ。

「蔵馬……!?」
「あのな黒鵺、あんまりオレを見くびるなよ? お前がどれだけ大それたこと企んでもオレはビビって逃げ出したりしない! そんな腰抜けで女が盗賊やってられるかっ!」
「……」

蔵馬の剣幕に黒鵺は思わず後ずさった。金の瞳が彼を射抜くように、強い光を放っていた。

「確かに、オレにはお前ほど盗賊稼業に立派な動機はないよ。でもオレもオレなりに腹括ってこの道を選んだ。覚悟の大きさならお前には負けない。お前が命懸けでバカやるつもりならオレはその上を行ってやる。お前に負けたと思いたくない!」
「……蔵馬……」
「大体、お前の馬鹿話に最後までつき合えるヤツがオレの他に何人いる? 世界中敵に回して、オレまで遠ざけて、お前一体何処に向かう気なんだ……?」
「!……」

太陽の縁が水平線の上で最後の輝きを放っている。弱い光の中、二人は瞬きさえ忘れて互いの顔を見つめ合っていた。黒鵺の視線に触れ、蔵馬は拳を固く握った。本当はまだ体が震えている。それを鎮めようと、彼女は自分に言い聞かせた。

(……今更、迷うことなんか何もない。覚悟なら二年も昔に決まってたじゃないか。)

声に出来ない思いの丈を視線に込め、蔵馬は真直ぐ黒鵺を見つめ続けた。

(……お前と一緒ならきっとオレも強くなれるって……オレにも何か成し遂げられるって、あの時そう思った。あの日からオレの生きる理由はお前になったんだ。だからお前の生き方をずっと見届ける。そのためにオレは、お前に負けていられない。)

対等になりたいんだ、と蔵馬は強く願った。彼がまだ遠い先にいるのなら、必死で追いかけていつか必ず追いついてみせる。

(ほんと、凄いよお前……予想以上の馬鹿だけど、ずっとずっとカッコいい。)

……黒鵺が自分の次の言葉を待っている。震えはいつしか止まっていた。顔を上げて彼と視線を合わせた瞬間、蔵馬は表情を和らげた。自分の一語一語を確かめるように、彼女はゆっくりと口を開いた。

「……みんながお前に背を向けても、オレはいつでも傍にいる。つき合うよ……地獄の底まで一緒だ。」
「…………」

黒鵺の眼差しが揺れた。蔵馬はもう一度、彼を励ますように微笑んだ。……ふっと、黒鵺が安堵の息を零した。

「……ありがと、」

決まり悪そうに頭を掻きつつ、彼は呟いた。

「……見棄てないでくれるんだ。」
「優しすぎるもんでね、バカ放っとけないのさ。」

黒鵺の顔が引きつった。……照れ臭くてつい、いつもの調子で返してしまった。

「くそっ、やっぱ可愛くねー。」
「おや? 可愛いお姫様と頼れる相棒と、世界征服に必要なのはどっち?」
「……かなわねーなぁ。」

黒鵺が苦笑した。蔵馬がくすりと笑い、荷物を拾い上げた。

「さ、帰ろう。」
「……ああ。」

くるりと踵を返し、蔵馬は歩き出した。先を行く少女の背中に黒鵺はそっと、気づかれぬよう小さく頭を下げた。

(……ホント、ありがとな。)

これから往こうとしている茨の道を、一緒に歩いてくれる仲間がいる。それが、どれだけ自分を勇気づけてくれることか……

──オレは独りじゃない──

それが、しみじみと嬉しかった。

「……蔵馬、」
「なに?」
「ちょっとこっち来て。折角来たのに兄貴に挨拶すんの忘れてた。」

蔵馬を手招きしながら黒鵺は再び崖へ近寄り、あの風化した墓石の前に腰をおろして持ち込んだ酒を浴びせ始めた。歩み寄った蔵馬に更に近づくよう促し、黒鵺は彼女の肩に手を置いて墓に向き合わせた。

「黒鵺……」
「紹介するよ兄貴、こいつがオレの“親友”……蔵馬だ。」
「!……」

蔵馬が振り返った。「そうだろ?」と言うように、黒鵺は笑顔でウインクしてみせた。蔵馬が笑った。墓石に向き直り、ぺこっと頭を下げて“挨拶”している彼女を黒鵺は穏やかな眼差しで見つめていた。ふと、彼はあの“予言”を思い出して微笑した。

(……『いつか、自分の命より大事な存在になる』、か……。鴉、あんたの予知は当たるかもしれない。)

気づくと蔵馬は身をかがめ、墓石の足元に軽く手を添えていた。彼女がふわりと気を込めると、墓碑を取り囲む草が蕾をつけ、小さな花が次々に開いた。

「おっ。」

黒鵺が声を上げた。蔵馬が冷ややかに言い放った。

「墓参りに酒しか持ってこないなんてマナー違反だぜ。オレがいて良かっただろ?」
「……」

小生意気な唇が悪戯っぽく笑っている。頭を掻きつつ黒鵺は「これからもずっと、宜しくな」……彼女にそう、心で語り掛けた。

【完】