うだうだと [2]
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人は精神の危機にある時、救いを求めて創作に走るという。……って数日前に見たテレビの受け売り (苦笑)。あまりに自分に当てはまっているので印象に残ってしまった。もっとも私に高いレベルでの創造など望めるはずもなく、ちょっと沈んだ時に日記がいつもより多くなる程度だったりするんだけど。
私の場合相当気が重い時は本当に何も出来ず、漫画や本 (カタログなど頭を使わずにパラパラめくれるもの) を読んでひたすら時間が過ぎるのを待つ。音楽は逆効果のことが多い (私の iTunes のライブラリに入ってる曲に限ってだけど)。歌詞が暗くてベースの効いたビジュアル系ロックは不安感を煽るので最悪…かといってポップスはうるさいし! で、どうにかこうにかしてちょっと這い上がると誰かとの繋がりを求めるようにひたすら自分の身上・近況を語り始める。大分上がってくると小説やイラストでも…という話になる。これが私のサイトの更新方法なので、掲載される記事の内容を見れば大体私の精神状態が分かるというわけ。つまり一日に二回もこんな日記みたいな記事を書く日はちょっと危険信号だったりする。
来週の出張と再来週の面接試験を控えて緊張しているんだろうけど、先の仕事で週末も心休まらないなんて自分でもよっぽどだと思う。ここ最近は全部から逃げ出して貯金使い果たすまで生きて、その後故郷に近い土地で行き倒れるという空想を抱いてみたりもする。そういえばこの前上司に「夢とかないの?」と聞かれて浮かんだのが、このサイトで書いてる小説の完結……だけだった。あとは東北に帰りたいとか、それ以外未来に向けてやりたいことなんて何もない……後の人生全部自堕落に生きて、十年くらい後にはもうこの世の憂い全てから解放されているのが理想だなー。
誰かさんの「“自分は一体なんのために生まれてきたのか”を考える時のように気持ちが沈む」という台詞がここ最近頭から離れない。この言葉の意味が分かったのはここ五年くらいのこと。それまでは自分の生存の意味は「何かをするため」と信じていて迷うことはなかったのに、今や存在すること自体に罪悪感を感じてしまう。それが毎日続けばこれは病院に行く気にもなるけど、一週間や二週間の周期で小さな波があり広く見て三ヶ月に一度くらい大波が来るだけで平常は何とか普通に過ごせるので遠慮してしまう。でも五年前に研究室で強度のストレスを受けて以来、誰かと一緒にいても突然鬱ぎ込むことが増えて人付き合いも避けるようになり、人の目を見て話をすることも出来なくなった。これって立派な心的外傷だよなぁ……あの研究室では色々セクハラ等も受けてるんだけど関わりたくないので何処ぞに訴える気にもなれない……。
私のグチばかりで終わってしまうと「作業日誌」にならないので、自分の創作における人物設定について手の内を明かしてみよう。自分がこんな性格なので主人公は私とよく似た、結構一人で思い詰めるタイプを設定する。で、その主人公が恋をする (or 憧れる) のは割と脳天気で人生に確固たるビジョンを持っている人。私が憧れる前向きな人。うちで言えば前者は蔵馬とかセイランで、後者は黒鵺やランディってことになる……のかな? あとカップルではないけど鴉と紫などもそういう組み合わせのコンビにしている。自分をそのまま投影出来るので主人公のキャラクター設定は簡単 (むしろ読者様がうんざりしないように適度に留めるのが難しい ^^;)。それに対するキャラには自分がかけてもらったら嬉しい言葉を言わせる。まぁ自分の経験は全部作品に使うんです (苦笑)。そうじゃなきゃそれこそ苦労している意味がないでしょ?
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